コピー用紙

なにも知りません

目と目で通じあう

連日低気圧で気が滅入っている。

気が滅入っているので、本来であればわたしは就職活動とかいうのをやらないといけない状況らしいのですが、その全てを放棄して、数日に一度気が向いたらアルバイトに出向き、適当にレジを打つなどしてここ最近を過ごしています。おそらく人生で2番目に廃人生活を送っている。

気が滅入っているので(2回目)、接客態度も酷いものである。わたしは要領が悪いので、褒められるべきところといえば接客態度くらいしかないのだが、最近は常に寝起きみたいなガスガスの声しか出ず、客と目を合わせることができなくなった。肉体運動でいえばほんの数十センチ目線を上にあげるだけなのに、なぜかそれができない。それさえもめんどくさい、しんどい。

しんどいが、頭はずっと回っている(だからしんどいのかもしれないが)。感想としてブログを1本まとめたもののやっぱり先々週のvol.6のブログがまだうまく飲み込めてなくて、そうこうしてるうちに追撃のように次のブログが更新されてしまって、感情に収集がつかなくなって、もうこうなるならいっそブログの更新をやめてくれ、と思ってしまったり、とてもじゃないけどここには書けないようなことをたくさん吐き連ねるのをフォロワーに聞いてもらったり。

 

レジを打ちながら、『目を合わせるということ』という本を思い出した。わたしが好きなもう一組のアイドルグループ・BiSHに所属するモモコグミカンパニーちゃんが初めて出版した本である。学業と並行してアイドル活動を続け、その経験を自身の卒業論文の題材にまでしたモモカンちゃんとBiSHの軌跡が語られている。BiSHというグループそのものに興味がなければ面白味は感じられないかもしれないが、とても素敵な本なので読んでみてほしい。そんな本のあとがきにこのような記述があった。

 自分から目を合わすことは簡単なことではありませんでした。それは自分の弱みをさらけだすことでもあって、人に弱みを見せることはわたしにとってすごく怖いことだったからです。(中略)でも、BiSHに入って人前に立つようになってからは、自分の弱みをさらけだすことは同じ弱みをもつ誰かを救うことでもあると気づきました。(中略)

 ステージに立つような人間と自分は違うと思うかもしれませんが、あなたもわたしも一人では生きていけない同じ人間で、きっとなんら変わりないと思います。

矢花くんの言葉やパフォーマンスに触れていると、こちらの瞳を覗き込まれているような気がすることがある。どうせわたしは有象無象のオタクの中の一部なのだから、そんなことが可能なのかどうかも怪しいところではあるが、それでもそう思わせられる引力を感じる瞬間がある。以前 I Know. - 7 MEN style - を見てくれたフォロワーが、「矢花黎は深淵なんだよ……!!!こちらが矢花黎を覗く時、矢花黎もまたこちらを見ているんだよ……!!!」と言っていたが、「くろ」とも読む「黎」の名も相まって、言い得て妙な表現だと思う。

以前好きだった人は本当に他人に興味がなくて、オタクのことなど見向きもしなくて、そういうところが好きだった。別に人外視してたわけじゃないけど、その人の才能と、好きだなと思うパーソナリティ(キャラクター、と表現した方が適切かもしれない)だけを、相手の感情を気にかけずに勝手に好き好き言うだけなのは、今思えば気楽でとても楽しかったし、それが「推し」とオタクの関係性として理想だと思っていた。むしろ人間として向き合おうとするから歪むのだと。

結果的にその理想もうまくいかなかったし、ちょうどうまくいかなくなった頃に矢花くんに出会って、ここ5年近くかけて積み上げた価値観と全然噛み合わなくなった。

 

モモカンちゃんはもう一冊エッセイを出版しているが、こちらはクラウドファンディングだったか何かでファンとリアルタイムでコメントを交わしながら執筆されたもので、巻末にファンからのコメントも併せて掲載されている(書いてて思ったけど、矢花くんはもしかしてこれと同じようなことをほぼ無賃で自発的にやろうとしている……???気が狂っている……)(ていうか今更だけどJohnny's webの月額料金ってどれくらいタレントの給料に反映されてるんだろう……)。その中の「アイドルと恋愛」の項目でこのような記述がある。

 現実の恋愛は一対一のコミュニケーションが必要だ。綺麗で居心地のいい自分だけの世界に浸り、頭の中で物語を進めるのもいいが、その間、現実では何も進むことはない。(中略)

 アイドルソングは一方的に"きみ"に対しての想いを歌っていることが大半で、曲の中の"きみ"は"わたし"の想いに対して自分の意見を述べることはめったにない。しかし、現実の実体を持った"きみ"と対等に関わるには一方通行ではなく、"きみ"の方からも自分に矢印が向くことが必要になる。(中略)

 現実の"きみ"と対面するには、もう二度と会えなくなってしまうかもしれない頭の中の"きみ"をぶち壊す勇気と、現実と向き合う覚悟が必要らしい。

この理屈に照らし合わせるなら、ラブソングを甘く切なく歌いこなせるどんなアイドルより、胸キュンセリフで黄色い歓声を浴びまくっているどんなアイドルより、矢花くんはよっぽど切実に、実感を持って、ファンと「恋愛」しようとしてくれている。さすがにここまで断言してしまうとそんなつもりはないと思われるだろうが(笑)、恋愛に等しいくらい密接な双方向の感情のやりとりは求めているんじゃないだろうか。いつかの雑誌でリア恋を自称していた理由がここでようやくわかったような気がする。

ただ、それでもし向こうが傷つくことがあるのなら、わたしは手放しで乗っかることはできない。わたしもできれば傷つきたくないし傷つけたくない。アイドルを推している以上は幸せでありたい。その覚悟があるのかどうかを計りかねている。とはいえ、彼の表現から彼の中の人間のドロドロした負の感情の存在は自明であるから、アイドルだからって綺麗事ばっか言ってるわけじゃないんだな、とも思ってる。でもそれにしては言動が眩しいくらいに澄み切っている時もあって、なんだかちぐはぐで、人間らしさとしてそういうネガティブな側面を見せられるほど、これ以上痛めつけられるようなことがあってはならない、守らなければ……みたいな気持ちにもなる。

皮肉にもアイドルから、人間に「人間」として向き合う方策を手取り足取り教えてもらっている気分になってきた。それが彼なりの優しさ誠実さだな、と感じる日もあれば、残酷だな、と感じて手を振りほどいてしまいたくなる日も少なくない。それでも、無理に「偶像」を演じるでなく、「人間」として、「人間」のまま、アイドルをやろうとしている矢花くんの願いが、できる限り叶えばいいなとは思っている。すっかりISLAND TVで見慣れてしまった雑然とした部屋の風景や、わたしも持ってる1500円のTシャツが羨ましいほど似合っている姿を思い出しながら。