コピー用紙

なにも知りません

甘蕉は劇薬

 

矢花黎さんこの夏渾身の新曲「Banana」、皆さんもう聴かれましたか?ISLAND TVって会員登録不要無料コンテンツなのに相変わらずアクセスの悪さヤバいよね。オタク以外絶対知らんもん。この前坂本昌行さんすらYouTubeって言ってたよ。

 

前回の記事で書いた通り今夏のライブは不参加だったため現地で聴くことは叶わず、かと言って動画が上がった以降も初見をどのタイミングにしようか悩んで数日が経ってしまった。結局、今日こそは本当に精神がだめかもしれない、と思った通勤途中の地下鉄の中で、電車の走行音にも車内アナウンスにも負けないように最大音量にして聴いた。下手にかしこまって腰を据えて聴くよりは、ありふれた生活の中に境目なく音楽を紛れ込ませるくらいを、矢花くんなら望むのではないかとなんとなく思った。かつて「音楽とは我々の一番身近にある芸術だ」と語っていた彼の言葉を思い出した。奇しくもその日は水曜日だった。

 

2020年の夏に見た「I Know. - 7 MEN style -」の衝撃はおそらく忘れることはない。

ご本人曰く、この曲のコンセプトは「破壊的なグランジロック」であり、「"ロックとは自分を解放することじゃないか?"」という「"僕なりのロック"を表現するサウンドを意識し」て制作されたそう。上の動画はインストver.だが、ライブ公演で披露されたものは歌詞がついており、これまた「元々の歌詞だと少し攻撃的過ぎた部分があったので」「マイルドに書き直」されたのだとか。そんな歌詞には彼の持つ人間や社会に対するアイロニカルな眼差しが濃密に詰まっている。

この頃になってようやく納得が追いついてきたが、わたしはずっと勘違いをしていた。ひとつは、「現役音大生」の肩書きをものにする矢花くんならば、自身のすべてを音楽で語り尽くしてくれるであろうということ。もうひとつは、社会、慣習、アイデンティティ、その他自分にかかわるすべてに漠然と嫌気が差していて、そのすべてを破壊したくて叫びを上げているということ。そしてその点においてわたしと矢花くんは繋がっており、矢花くんはわたしの延長線上に存在するということ。

「ジャニーズでもここまでぶっ飛んだことやっていいんだ!」というカルチャーショックが大きかったことも影響し、I Know.には当時の矢花くんのすべてが込められているのだと思い込んでいた。だから、この曲に惚れ込み、この曲を解釈し続けることこそが、彼のファンを名乗る資格のようなもので、他の事象は枝葉に過ぎないとさえ思っていた。「現役音大生アイドル」という稀少な武器を持つような人であるなら、音楽を心から愛し、音楽にすべてを捧げ、凡人のように余計な御託を並べずに、自分の思想を全部音楽に乗せて、言葉以上に歪みの少ない純粋な形で表現することができる、そういう人であるに違いないと思っていた。でも、きっと彼は音楽家としてそこまで純粋ではない。純粋でいられない。

その「純粋でなさ」は、もちろん「ジャニーズアイドルなのにバンド」という今の彼の置かれた立場によるものでもあるし、彼の経歴にも表れているといえるかもしれない*1。しかしその「純粋でなさ」の核を成すものとして、彼の生来の性格に依拠するであろう、怪物的なまでの自意識の強さがあるような気がしてならないのだ。

彼が己を語るには、音楽だけでは足りないのだ。矢花黎というアイドルと、矢花黎という人間を形容するには、音楽という器は小さく儚く、純粋すぎるのだ。彼にはもっと具体的で、無秩序で、明け透けな言葉が必要で、無骨で無神経で、でも酷く怯えたように一つずつ置かれる言葉たちの跳ね返りで自分がズタズタに傷つきながらも、それでも言葉にせずには生きていかれない人なのだ、というのが、1年以上の間彼のブログと向き合ってきたりこなかったりして理解したことである。

もうひとつ、矢花くんの言葉を見聞きしていると、すごく世界を信用しているな……と感じることがある。I Know.ではあんなにも厭世的な、世の中をせせら笑っているような歌詞を書いていたのに、信じられないくらいストレートな言葉で自分の感情を言い表している時もあれば、肝心なところで含みを持たせて解釈を読み手に委ねてくる時もある。どちらの態度もその言葉の受け取り手のことを無条件に信用していないと出てこないように思う。だからこそファンから辛辣な反論がダイレクトに返ってくることもままあるし、それらもすべて真正面から受け止めて突き刺さってしまう。それでもまだ話すこと、書くことを諦めない。どれだけ不安定でも傷だらけでも、丸腰のままで彼の言葉は我々の前に姿を表す。母親しか拠り所を知らずすべてを預けてくる子どもみたいだ。

だから矢花くんはこの世界を愛し、世界からも愛されてここまで生きてきたのだなと思う。わたしは自分の生きている世界に対してもうそんな澄み切った眼差しは向けられなくなってしまったから、その点において、わたしと矢花くんは完全に違う人間なのだという事実を苦しいほどに突きつけられることになった。癒着した歪んだ信仰心を引き剥がすのに1年近く必要としてしまったけど、今はそんな矢花くんのことを素直に愛おしく素晴らしいことだと思えるようになったのでこれでよかったんだろう。

そうしてさまざまな矛盾を現在進行形で抱え、変容させながら、きっと彼は今日も音楽に向き合っている。こっちからすればやっぱり世界はめちゃくちゃだしクソったれだし地獄だし毎日気が狂いそうだし生きにくくて仕方なくて、向こうも少なからずそう思いながら歪に生きている自覚はあるようだけど、矢花くんはそれでも今の自分とそれを取り巻く世界を好きでもあるんだろうと思う。「Banana」間奏部分でゆるいフォルムと耳をつんざく人工的な不協和音で姿を現す電子楽器・オタマトーン。彼の内にあるそれらの鬱屈した混沌と、いかにも「アイドル」らしい外界に向けた愛嬌がないまぜになった、アイドルらしくてアイドルらしくない、人間臭くて人間離れした、どこにも属せない何かの象徴であるかのように感じられる。

世界にも自分にもヤケになったりニヒルになったりせず、真正面から清濁併せ飲んだうえで正々堂々立ち向かってやろうという闘志のようなものが「Banana」からは迸っている。それも追い詰められて闘うしか道はない、というニュアンスではなくて、自ら迎え撃つ余裕すら感じられるポジティブな闘志。どんなに絶望的な状況においても飄々とした笑みを携え、どこまでも精緻に計算された"遊び心"を以って音を奏で、ステップを踏む様を、「アイドル」と呼ばずしてなんと呼ぶだろう。I Know.から丸2年をかけて見るからにしなやかに強くなった。今の矢花くんが眩しくてならない。

正直グループの方向性・音楽性としてもトライアンドエラーの時期なんだなというのは強く感じていて、多くのファンから求められるジャニーズアイドルらしい振る舞いや"ジャニーズ"というブランド自体のプレッシャーとのバランスの取り方に苦心している様子は幾度となく目にしたけど、矢花くんのあくなき自己表現への欲求が何一つ死んでいないと今回で心の底から確信できたことが嬉しかったし、それがこんなにも強かでかっこいい形で昇華されるとは思わなかった。矢花くんは数ヶ月前にブログで「自分の伝えたいことを他者に届けるためにはそれなりの自己演出が必要」というような話をしていたけど(個人的には当時あまり腑に落ちなかったブログではあったんだけど笑)、今になってああここに繋がってたのかもしれないなぁと思ったり。

そういう最近の矢花くんの姿を見ていると、ああわたしも生きにくいなりに折り合いつけてなんとか人生を頑張っていかないといけない、と素直に奮い立たされるし、アイドルを好きでいることの醍醐味ってこういうことだったんだなと思う。形はどうあれアイドルに極力干渉したくないスタンスのわたしですが、矢花くんが矢花くんのまま"矢花黎"を知らしめるためにいつも死に物狂いでアイドルやってくれているだけで、励みになってるオタクがここに1人いるよ〜って言うのはフワッと伝わるといいかもと思う。

矢花くんが心ゆくまで自分を解放して、矢花くんの音を、声を、満足いくまで聴き入れてもらえる世界に早くたどり着けるといいな。そして願わくば、その時までわたしも矢花くんのいる世界の中にいて、それを聴き届けられるといいな。ひとまず初めての単独ライブ、本当に楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

*1:ジャニーズ事務所の入所オーディションを4回受けているという話は今や彼の鉄板エピソードとなったし、「ジャニーズなのに?」と言われることの多い楽器演奏を始めたのはジャニーズJr.として活動を始めた以後のことだそうだ。