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なにも知りません

「大人」になる

「ジャニーズJr.公式エンタメサイト」と銘打たれたISLAND TVというサイトには、所属するジャニーズJr.たちのプロフィールが確認できるページが存在する。昨年初頭、サイト自体の大幅リニューアルに伴い、全員のアーティスト写真やプロフィール文面も一新され話題になった。

プロフィールの項目には「将来の夢」欄が設けられており、「CDデビューすること」「ファンの皆さんを幸せにすること」など、アイドルたちの大小様々な夢がめいめいに記載されている。矢花くんの今の「将来の夢」欄には「日本を代表するベーシスト・クリエーターになる」とある。彼にしか書けない素敵な夢だと、"今は"思っている。

サイトのリニューアル前、彼はここに「『大人』になる。」と記載していた。わたしはこれがどうにも彼らしくて好きで、リニューアル時はこれが消えてしまったのが悲しく、同時にそこはかとない不安を覚えた。

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当時のスクショ

 

彼の創作の源泉にある、「己を解放し、既成概念を打ち壊したい」という思想。パフォーマンスの建前だけではどうにも割り切れない、癇癪のようなリミッターの外れた咆哮。彼の敬愛するロックンロールの精神にも通ずるこの欲求、渇望、衝動は古くから「少年たちの、前時代的な『大人』に対する反骨精神」という形で形容されてきた。それが「『大人』になる」ことで失われてしまうのではないか、と恐れていた。

鉤括弧で括られた『大人』。一般名詞につけられる鉤括弧には、強調のほかに皮肉の意味も汲み取れる。これを掲載していた2021年以前、たしかに20歳という、世間的に「大人になる」節目を跨いでいた矢花くんだが、その時彼は『大人』ではなかったのだろうか。この「『大人』になる。」という夢を取り下げて新たにアーティストとして順当な夢を掲げた今の彼は、果たして『大人』になれたのだろうか。

 

 


少し話は変わって、『アイドリッシュセブン』というアイドルプロジェクトがある。2015年にリリースされたアプリゲームを中心に、アニメ、ライブ、各種コラボ等々の展開を重ね8周年を控えた今年、ライブ映画が公開された。本当に素晴らしい出来なのでアイドル全般が好きな人は是非一度観てほしい。

もちろん全編素晴らしく、語るべきことが目白押しなのだが、ここでは、劇中で披露されたTRIGGERというグループの新曲『BEAUTIFUL PRAYER』に焦点を当てたい。


BEAUTIFUL PRAYER

BEAUTIFUL PRAYER

  • TRIGGER
  • アニメ
  • ¥255


TRIGGERはプロジェクト発足時から、メイングループのIDOLiSH7と対をなすライバルグループとして活動してきた。明るくかわいくわちゃわちゃ、逆境でもひたむきに頑張る姿を見せることで人々の心を掴んできたIDOLiSH7とは対照的に、大手事務所のプロデュースで順風満帆にデビューを飾り、ショーマンとして裏の努力や苦悩は見せず、ただファンのためにステージの上でのエンターテイメントを追求することに身を捧げる、プロ意識の極めて高いグループだ。

そんな彼らもこれまで常に完璧ではいられなかった。スキャンダルを捏造され、一時事務所を辞める事態になるまで追い込まれた。テレビの仕事を干され、精力的にライブハウスを駆け巡った。それでも自分たちを信じてついてきてくれるファンを思って、雨の中涙を流した。そのたびに、高潔な誇りやプライドを胸に抱いたまま、ダイヤモンドのような「つくりもの」としての無機質な硬度だけではない、血肉の通ったしなやかな人間らしい強さを獲得してきた、TRIGGERとはそんなグループだといえるだろう。

これまでもその波瀾万丈なキャリアに合わせて、さまざまな楽曲を発表してきたTRIGGERだが、『BEAUTIFUL PRAYER』はノリの良いディスコファンク調のダンスナンバーで、強いメッセージ性が前面に出た他のグループの新曲群の中でも一線を画す。クラップやコールでライブ本編の中でも特に盛り上がるシーンであり、ファンの間でも公開時から話題と人気を集めている。オシャレなサウンドに合わせシックな黒の衣装で一糸乱れぬダンスを披露する3人の姿は、ジャニーズを齧った経験のある人間なら少年隊などを彷彿とさせるかもしれない。

しかしこの曲もまた、ただサウンドとしてノリ良く楽しいだけではない、力強く生きるためのメッセージを歌った曲なのである。

 


以下は作詞曲を担当したShinnosuke氏が、ムビナナ公開当時に個人Twitterに寄せた文章である。


 

大きな話だと地球規模での災害や戦争などから、はたまた近所で起きた小さい事件や事故など

色々含めて悲しいニュースや辛い話に胸を痛めてきたのも事実ですし、僕の身近でも大切な方が亡くなったりもしたので生きる事の意味や難しさ、逆に「幸せとは?」とか色々日々思う事も本当に沢山あって。

(中略)

上記のような「生きることについて」だったり、もっと「地球を俯瞰して見た時」に考えるような事など...

結果的にそれって至極当たり前の事にしかならなくなってきちゃうんですけど。

まぁそんなような、人としての根本的な想いというか考えというか意志みたいな物をどうにか歌詞に落とし込みたいな、と思って書いたんです。


(中略)

生きてる以上、大人になれば色々と痛みを知らないとダメだと思うんです。

物理的な怪我とか病気とかって意味ではなくて。

知らなくて良い(=済む)のは子供の時だけで良くて。

なので、先述のようにこの曲って聴いてるだけだと楽しい・カッコイイ曲だと思うんですが、実は結構「悲しさ」や「愛い」を歌っている曲でもあるんです。

(中略)

あと、楽曲タイトル「PRAYER」の意味、「L」ではなくて「R」 なので「祈り」という意味なんですが。

『美しい祈り』

「PRAYER」って一つの単話でもう一つの意味もあって。

発音が少しだけ変わるんですけど、「祈る人」という意味にもなるんですね。

なのでTRIGGER の3人自体の事を指しているタイトルでもあって。

 

 

Uhhh wanna B together

不条理な毎日を

少しでも誰かが笑顔でいられるように

祈ろう Uhh Yeah

TRIGGER『BEAUTIFUL PRAYER』歌詞より抜粋

 


アイドルの歌や言葉の数々は祈りだ。祈りとは、人が人のために行うものであり、祈り手が祈られる対象と同じ人間であるからこそ価値あるものだ。アイドルが我々と同じようにありふれたことで泣き、笑い、人として生きているからこそ、彼らの祈りは切実だ。

 


アイドルたちにドラマチックなヒストリーがあるように、同じ時空、同じ世界にわたしの生活、人生がある。アイドリッシュセブンを好きでい続けたこの8年近くの間に、わたしは引きこもりになり、高校を辞め、バイトを始め、高卒認定試験を受けて受験勉強をし、大学に入学し卒業し、就職して社会人になった。わたし自身も、今やすっかり『大人』になった。

『大人』になるにつれて社会を広く見られるようになって、ただアイドルが与えてくれるエンタメを楽しみながらのんびりと生きていくだけでも、否が応でも社会や政治やジェンダーについて考えざるを得ないことを思い知った。いくらアイドルとはステージの上でのみ像を結ぶ虚構だと言い張っても、そのステージが建つ土壌が腐っていてはステージは崩れてしまう。崩れゆくステージの上のアイドルの"中の人"たちは、ステージもろとも腐った地面に叩きつけられて(比喩ではなく)死んでしまう。

巷では「嘘を貫くアイドルこそが完璧で究極」というような歌詞の曲が異常なほどバズっているが、アイドルを切実に応援した経験のある人ならそれがいかに持続不可能でままならないことかよく理解しているはずだろう(まあだからこそ、フィクションの物語から生み出されたこの曲に願望を託したいのかもしれないけど)。

アイドルを仕事としてやっていく人も、アイドルを応援する人も、もうそろそろ「アイドルとは嘘でつくりものだから」を免罪符に現実から目を背け続けるのは難しくなってきたんじゃないか。「彼らとわたしたちは住む世界が違うから」なんて、とてもじゃないけど言えなくなってきているんじゃないか。彼らもまた、我々と同じ社会の困難に道を阻まれ、歯を食いしばって、なんとかこの地獄のような現代日本を生き抜いている人間であることは、2020年に痛いほど思い知ったんじゃないのか。

アイドルも我々と同じように歳をとって、やがて命を終える。アイドリッシュセブンのアイドルたちは設定上、数字の上では歳をとらないが、全員がそれぞれに自らの問題に向き合い、精神的に大きく成熟していくさまが描かれる。現実のアイドルにはそんな明確な「物語」はないけど、皆日々将来への不安を抱えながら、己の感情とどうにか折り合いをつけつつ目の前の仕事に取り組んでいるはずだろう。アイドル業界という特殊な環境が生む固有の生きづらさはもちろん無視できないが、だからといってその環境下に置かれる人たちをむやみに神聖視、あるいは怪物視するのではなく、働く人間同士として、もっとありふれた共感で寄り添うことはできはしないか。

 


痛々しいほどの自我を開示してくれる矢花くんが愛おしく、それを愛おしく思う自分が恐ろしくてしょうがなかった。その反動から、流行りの歌のように煌びやかな嘘で武装して、本当の自分は見せないことを美学とするアイドルのことを羨ましく思ったり、自分が好きになってしまったアイドルがそうではなかったことに憤りをぶつけたりしてしまうこともあった。

自分が社会人になってようやく、事はそう簡単ではないことを思い知った。仕事における自分と本来の自分を完璧に切り離すということは、よほど自分を強く持てる人でないと本当に、本当に心が死んでしまう。かと言って誰彼構わず自分をひけらかすのもまた、どんどん自分が奪われてすり減っていくような感覚を覚える。わたしたち──アイドルも含めて人間全般は、揺らぐ水面を浮き沈みするように、つくられた自分と本来の自分を行き来しながら、少しでも楽に呼吸ができる場所を探し続けるしかないのだ。

きっと矢花くんは、己の全てをもって、それを体当たりで、リアルタイムで実践する様子を見せてくれていただけなのだ。野ウサギみたいに跳ね回るベースも、がなりながら歌うラブソングも、浮き沈みの激しいブログも、全部。

 

振り返れば
僕も色々な事を感じ、喜びや、幸せ
時に 苦しみ、立ち直りながら、

今日ここまで来たような気がします

 

みなさんもきっと
本来の"欲望"を
学校や会社といった
"社会"で塗りつぶして、
"大人"になるにつれて
塗り重ねてきたと思います


それでも、繊細で
何度も割れてしまう表面を
上から塗って、
美しい自分であるフリをして、

そうしていくうちに
本来の自分が自分で塗った殻から
出られなくなったり、
どうしたらいいかわからなくなる


人は何をしていても
人以上にも、人以下にもなれない
誰しも同じ生き物なんだと思います

 


だから、

頑張らなくていいから

 

自分をこれからも生きていきましょう


そして、
殻の中の自分が
いつでも自由に外に出られるような
扉をつけてあげましょう

 


僕もそうしてみようと思っています

 

 

何事も全てを言って
所構わず吐き散らせばいいわけじゃないけど

でも
そんな相手やそんな日があっても
あってもいいもんだなって思います

2023/05/31更新 Johnny's web「異担侍日報〜侍ふ。〜」水曜vol.109「独白」より抜粋

 


わたしはわたしのペースで、そして矢花くんは矢花くんのペースで、それぞれでゆっくり、自我と建前の折り合いを探してきた数年間だった。きっと矢花くんにとってわたしは物分かりのいい理想のファンではなかったし、わたしにとっても矢花くんはいつでも理想のアイドルではなかった。今でも矢花くんの言動で到底理解できないことは多々あるし、万一この怪文書を矢花くんが読むようなことがあれば、向こうも同じように思うことだろう。それでも、同じ時間に同じ世界を生きながら、共感よりももっと淡い、漠然とした次元で「そうだね、わかるよ」と思い合えることがひとつでもあるのなら、一番星だなんだと完全に突き放してしまうよりは、人と人として有機的な関係性に一歩近づけるんじゃないか。それはそれでひとつ、アイドルとファンの関係性としては相当祝福されたものになるんじゃないか。

 

 


矢花くんの制作した「Banana」について、わたしは昨年以下のように記した。

 

世界にも自分にもヤケになったりニヒルになったりせず、真正面から清濁併せ飲んだうえで正々堂々立ち向かってやろうという闘志のようなものが「Banana」からは迸っている。それも追い詰められて闘うしか道はない、というニュアンスではなくて、自ら迎え撃つ余裕すら感じられるポジティブな闘志。どんなに絶望的な状況においても飄々とした笑みを携え、どこまでも精緻に計算された"遊び心"を以って音を奏で、ステップを踏む様を、「アイドル」と呼ばずしてなんと呼ぶだろう。I Know.から丸2年をかけて見るからにしなやかに強くなった。今の矢花くんが眩しくてならない。


これは昨年9月に公開されたセルフカバー版*1のみを聴いた上で書いた文章だが、「Banana」はこの後も7 MEN 侍全員による演奏でサマステ、単独Zeppツアーと繰り返し披露され、今年はついに歌詞を乗せてリアレンジされた「B4N4N4」がサマパラで初披露となった。個人的には矢花くんのソロコーナー枠を借りたひと夏限りのプロジェクトだとばかり思い込んでいたが、7 MEN 侍的にはすっかりグループの持ち曲の認識だったようでとても嬉しい。

作者本人が「口当たりのいい狂気」「魂は捨てずにキャッチーな曲を作る挑戦」と形容するように、「Banana」は矢花くんが公開してきた楽曲の中ではずば抜けてメロディアスで盛り上がりやすい。「売れ線を狙った」というのも大いに理解できる。しかしこの理解はwoofer887──作曲家・矢花黎の軌跡を辿ってきたからこそ出てくるものであり、アイドルグループ・7 MEN 侍の楽曲としてライブで披露されることを加味すると、作曲者自身のエゴに端を発するであろう複雑さや異物感を無視できなくなってくる。

初披露となった22年のサマステは、7 MEN 侍としては珍しく、演出の多くをメンバー以外のスタッフに外注した公演であったそうだ。良くも悪くも"ジャニーズらしい"印象を受けるライブの中盤、赤黒い照明の中から原型を留めないほど歪んだベースを呼び声に始まる演奏は、驚異的なスピードで演奏スキルを磨いてきたメンバーであってもついていくのがやっとといったところだ。しかしこれもまた「全員が苦しみながら、狂いながらがむしゃらにやってる姿を演出する為にわざとしんどく作った」という矢花くんの思惑が反映されている。今にも転げ落ちてゆきそうなビート。止まるべき所で止まらない音。完全に原型を失ったメロディー。

ジャニーズJr.としてそれなりのキャリアと地位を築き、すっかり安定感の伴いつつあるパフォーマンスの中で、この曲だけが異質、異形だ。それは祈りと呼ぶには生々しく地に足のついた、紛れもなくこれまでと変わらない矢花くんの剥き出しの自己顕示欲そのものである。それがバンドパフォーマンスという逃げ場のない衆人環視の中で、メンバー5人を、7 MEN 侍を、果実の表皮を覆う黒斑のように、ひたひたと侵食していくようであった。

そして今年の夏、留まらぬ彼の欲望は彼らの"声"をも乗っ取った。3年前、同じステージの上で1人吐き連ねるように歌われた矢花くんの言葉たちは、今度は6人の声で、犯行声明のような力強さと不敵な訴求力を持って戻ってきた。何も変わっていない。矢花くんはずっと、世界を、人間を愛しているからこそ、己を投げつけるかのようにして語りかけている。

それに今では、抱き込むようにそれに付き合ってくれる仲間を5人も得た。矢花くんにとって7 MEN 侍とは、無茶苦茶な自己をどうにか秩序立てて世界と繋がるための殻でもあり、自由に息をするために顔を出す水面でもあるのかもしれない。『大人』になったって、こんなにも自由で傲慢なやり方で自分を解き放つことができる。何人たりとも、彼の中に轟く"何か"の息の根を完全に止めることはできない。そういう意味で、矢花くんと7 MEN 侍がともに歌い続けてくれることは、わたしにとって大いなる希望だ。

 


だからわたしも勝手に、2人といないあなたへのありふれた共感とともに、毎日を生きていく。これからも、一緒にそれぞれの世界を見つめて、一緒に『大人』になっていきましょう。

矢花くん、23歳のお誕生日おめでとうございます。