コピー用紙

なにも知りません

きっと頰に降る輝きが 望んでた正夢と知らない

1月22、23日に開催された、IDOLiSH7 LIVE BEYOND"Op.7"、両日現地参加してきました。

f:id:flection_Re:20220130044644j:image

 

とにもかくにもひとまず、2日間無事にやりきれて本当によかった。急転した社会情勢の中で、本当に開演するのか数週間毎日気が気じゃなかった。もちろんできうる限りの感染対策を講じて、誰とも会わずに1人静かに行ってまっすぐ帰ってきたけども、2日目の開演10分前くらいまでずっと、今からでも公演中止のアナウンスがなされるんじゃないかと覚悟しながら客席に座っていた。自分も観に行った別次元の好きなアイドルが出演する舞台が、千秋楽を待たずして中止になったりしていたので、なおさら身につまされるものがあった。あとは出演者はじめ公演関係者にウイルスの魔の手が及んでいないことを願うのみです。

そうした情勢を鑑み、フォロワーの大多数が現地チケットを手放し配信視聴に切り替えていたように思う。非常に正しい判断だと思う。そもそもわたしも公演決定当初は現地に行くつもりはなかった。配信かライブビューイングで見れたらいっかな〜くらいに思っていて、記念受験感覚でアプリ先行を申し込んだらまさかの両日当選してしまい……

わたしが「絶対に現地に行きたい」と思うようになったのは、そうして奇しくもチケットを所持していたというのも大きかったけど、そろそろ自分の中でけじめをつけないといけないんじゃないか、と思っていたからである。

 

このブログ、実は矢花くんについて語るために新規で開設したものではない。元はそれ以前に推していた人についていろいろと書いていたが、その記事を全て消去し、タイトルを変えて再利用している。最近になってようやく、当時からブログを読んでくださっていた方とTwitterでコミュニケーションを取ることができ、「一体何があったのかと思った」と言われた。確かに今まで読んでいた記事が突然全部無くなったかと思えば、誰かも分からんアイドルの話が唐突に始まったらびっくりする。申し訳ないことをしたなと思う。

その「以前推していた人」が、アイドリッシュセブンで二階堂大和役を務める白井悠介さんである。

白井さんのことは5年近く応援していた。出会ったのは2015年の初秋、友人の勧めでアイドリッシュセブンのゲームをプレイし始めたはいいものの、豪華声優陣!と銘打たれたメインキャストの中で唯一見覚えのない名前だったのが彼だった。二階堂大和という複雑ながら魅力的なキャラクターを表現する唯一無二の声と芝居に始まり、気づけば人柄も含めて好きになっていた。彼を応援していた5年間、大した年数ではないかもしれないが、諸事情で体調を崩し高校を辞めたり、彼に会いに行きたいがためにアルバイトを始めたり、浪人して大学に入学したり、個人的には人生の転換期のような期間だった。彼に出会っていなければ早々に首を括って人生を終えていたかもしれないと、今でも割と本気で思っている。周囲の目を気にしすぎず自分を貫いて生きようとする姿勢は彼から授かったものである。

オタクをやめるに至った理由はいくつかある。2020年2月を最後に毎月のように通っていた現場がコロナ禍によって全て無くなった。翌月になると彼は、今までやってこなかった活動に積極的に着手し始めた。加えてわたしの彼に対する信用を損なう事件もいくつか起きた。幸か不幸か大した炎上騒ぎにもならなかったが。

わたしが原点として大切にしてきたものを、本人によって全て踏み躙られたような気分になった。当初は楽しみにしていた新しい活動も、蓋を開けてみれば一切受け入れられなかった。それまでの応援の中で、自分が無意識下で抑圧して無理をしていた部分が、徐々に反転して憎悪に変質した。自分で直接見聞きしたものだけを信じ、損なわれた信用を取り戻せる貴重な機会だった現場もない。Twitterの通知を切り、ミュートし、フォローを外し、最後はブロックした。あれだけ好きだった声を聴いてもなんのときめきも湧かなくなった。失われたときめきを補うかのように入れ替わりでジャニーズにハマってしまい、現在に至る。

前述の通り、白井さんにまつわるわたしのブログを楽しく読んでくださっていた人がいて、白井さんをきっかけに交流が始まったフォロワーも多かったから、どこかのタイミングでこの経緯を表明しておかないとな、と思っていた。できなかったのは、何を書いても最終的には呪詛になってしまったから。当時の感情の移ろいを記録した日記が残っていたからそれを公開してもよかったが、誰のためにもならないと思った。インターネットに公開すべきでない罵詈雑言しか出てこなくなってしまって、それをブログにまとめるのは気が引けた。なんなら今でも新鮮な憎しみの感情が生きているから、どうにか呪詛にならないように気を遣って言葉を選ぶと上記のようなフワッとした文章にするのが限界だった。

そうこうしているうちに2年も経ってしまった。もちろん作品が好きだからライブを見たい気持ちもあったけど、今このタイミングで、わたしが一番愛していた二階堂大和役としてステージに立つ白井さんを目の当たりにできたなら、良くも悪くも何かが吹っ切れて変わるかもしれないと思った。パフォーマンスを見て何も感じないのであれば彼や彼に付随する諸々に対する好意的な感情が完全に何もなくなったのだとわかるし、もし多少なりとも素敵だと感じるのであれば、ならどうしてそれを不意にするような真似を、とそれはそれでまた新たな憎悪を招くかもしれない。どちらに転んでも恐ろしいけど、そろそろ確かめたい、確かめなければと思った。

 

1日目に入ったのは上階スタンドで、たまたま隣席が同担だった。彼女のカバンからはファンサうちわが覗いていたが、「あんなおじさんからファンサをもらってどうするつもりなんだ」とマジで思っていた。

ライブが始まる。1曲目はDiSCOVER the FUTURE。MVでアイドルたちが着ていた衣装は白と淡いメンバーカラーのシアー素材が印象的な可憐なデザインで、正直30代男性が美しく着こなすのは至難の業だろうと思っていた。それでも、MVからそのまま出てきたかのような衣装をまとったキャストの7人がそこにいて、思考する間もなくわたしの視線はただ1人を捉えていた。

かっこいい、と思った。

使うことはほぼないだろうとたかを括っていた双眼鏡を思わず手に取った。か、かっこいい〜〜〜〜〜〜〜…………………白くフワフワとした衣装を着ているのにそれでもかっこいい。脚がめちゃくちゃ長い。そうだった、白井さんは映像越しで見るよりも現場で見た方が盛れてかっこよく見える不思議な人だったんだ。初めて現場に行った時からずっとそうだった。その瞬間思い出した。

しばらくジャニーズばかり追いかけて目が肥えに肥えているはずなのに、珍妙なダンスもなんだかかっこよく見えてくる。むしろその遠目からでも一発でわかる独特な動きに、ノスタルジーを孕んだ愛おしささえ感じてしまう。

あと歌。想像していたよりも全然安定していて、かなりCD音源に近いクオリティで歌えていたことに驚いた。むしろCD音源よりも情感豊かにしっかり歌いこなしている曲すらある。7人ユニゾンで歌っていても絶対真っ先に聴き取れる、音の密度の高いよく通る声。まだ本調子ではない三月役・代永翼さんと同ユニットで近いパートを担っていることも多かったからか、自ら曲を先導するかのようにも感じられた。2019年のライブの最後に「これからはリーダーとして自分がもっと引っ張っていけるように頑張りたい」と語っていたのを体現しているようだった。

2年前に死んでしまったと勝手に思い込んでいたものが、目の前にも、わたしの中にもあった。2年前にそっくりそのままタイムスリップしたかのようだった。あの時と違うのはマスクをして声を出せない状況にあることくらいか。制約こそあれど、彼を目で追いかけ続けるのがただただ楽しい。そうして素直な気持ちで作為なく「楽しい」と感じられることが嬉しかったし、それを嬉しいと感じられることもまた嬉しかった。開演までは親の仇ほど怨んでいたことも忘れて、ただ1人だけを見つめ続けた。

好きなものを増やして気持ちを分散させようと努力してはいるものの、結局唯一不動の一番の「推し」のことばかり常に考えてしまう単推し気質なわたしが、今一番の「推し」の存在が一度も脳裏をよぎることなく、「推し」とはまったく関係ない現場を全力で楽しめていたことにも驚いた。もうこの作品は、この人は、わたしにとって推しだ好きだなんだという序列を外れ、それを超越した存在になりつつあるのかもしれないと思った。

 

あとアイドル論的な話にはなるが、わたしは自分が思ってるより2次元アイドルとその担当声優を同一視はしていないんだな……と思った。二階堂大和くんのことはキャラクターとして好きだけど、ゲームやアニメの中で見る二階堂大和くんがライブで見たそれと強く結びつくかと言われたら肯定はしづらい。ライブが始まった瞬間感じた「かっこいい」の感情は間違いなく二階堂大和くんではなく白井悠介さんに向けられたものだ、という実感があった。

2次元アイドルコンテンツの声優が出演するライブをうまく楽しめない、と悩んでいるフォロワーを見てもあまりピンと来なかったのは、声優と役をピッタリ重ねて見ているからというより、"アイドリッシュセブンの"キャスト陣がキャラクター役としてステージに立つ時の、各々固有のそのキャラクターとの向き合い方そのものを愛していたからかもしれない。

じゃあ他のコンテンツのライブはどうだったんだと反論されそうだけど、二階堂大和以外の白井さんの演じるキャラクターは全て「白井さんが演じているから」が発端となって好きになっていたから、"白井さんが"そのキャラクターを如何にして表現するのか?という点に鑑賞の主軸がそもそも置かれていたように思う。それらに比べると少しだけ、本当に少しだけキャラクターに接近した、白井悠介さんの肉体を借りてわたしと同じ空間にやってきてくれた二階堂大和くん、二階堂大和くんという服を着てステージに立つ白井悠介さん、あるいはそのもっとあわいにある空気感のような繊細で儚いものが、わたしが好きで失いたくなかった本質だったのかもしれない。

そしてわたしが固執するそんなあやふやなものを一番大切にしながら表現してくれるのが、アイドリッシュセブンのライブイベントだなとTHE POLiCYの演出を見て思いました。半透明のLEDディスプレイに囲われて姿がハッキリ目視できない状態で丸ごと1曲歌い切る7人。そこに何を見出すかは我々観客に委ねられているけど、わたしはそういう多元的でグラデーションを大切にする演出を選んだアイドリッシュセブンの作品総体としての姿勢に強く心打たれました。それに、アイドルを担う1人の人間の人生や人格とは若干の距離がある概念的存在としての「アイドル」という点では、3次元で実際にアイドルをやっている人々とも心持ちとしてはあまり大きな差はないんじゃなかろうか、と奇しくも3次元のアイドルのオタクになってしまった今となっては思います。

 

ここ2年事情を知る数多のフォロワーから再三ご助言いただいた(ありがとうございました)「才能や作品とその人のパーソナリティは別」というのをようやく実践できるようになった気がしました。実践できるようになるまで2年を要しました。気持ちが離れると同時に整合性を取るため、あの5年間は無駄だったんじゃないかとか、好きだったはずの過去の推しや過去の自分もろとも全否定してしまう時期もあって、そのせいで好きだったものにも何の魅力も感じられなくなってしまっていたのがすごくつらかったけど、わたしが好きだったものは何も輝きを失っていなくて、だったらもうそれだけでいいやって素直に満ち足りた気持ちになれたのがすごく嬉しい。時間が経って過去になって美談にしてしまえるようになっただけと言われればそれはそうなのかもしれない。でもあの時と変わらぬこのときめきと確かな実感は絶対に信じられるし、現地に行かないとこれほどまでの確信を持って気づくことができなかったと思う。無理をしてでも行った価値があったと思う。

とはいえ今でも白井さんに対しては許せない気持ちも少なからずあるし、割り切れたは割り切れたでメロった5秒後に(自主規制)すぞ!って暴言吐いてる感じなので、余計に感情の振れ幅は大きくなって不健全なような気もしますが…… たぶんフォロワーが心配してくれてるよりは以前より元気なので安心してください!

 

白井さん、もうわたしがあなたのファンを名乗ることはないだろうけど、やっぱりあなたは唯一無二の天才で最高の役者だと思うし、二階堂大和役は絶対にあなたじゃなければ務まらないと信じています。あとこの日のために衣装に合わせて眼鏡を自前で4本も用意していた*1の、すごく嬉しかったです。

二階堂大和くんのこと、アイドリッシュセブンのこと、これからもよろしく頼みます。ほかの仕事は知りません(ごめん)ブロックしてるからどうせ届かないだろうけど。

 

わたしも白井さんも作品もこれからどうなっていくかわからないので何とも言えませんが、必死で追いかけた5年と、悩んで苦しんだ2年とにようやく一旦区切りをつけられそうです。長々担降りブログ書くタイプのオタクが嫌いだったのでそうはなりたくね〜って思ってたけど、この記事はわたしのためにどうしても必要だと思ったから書き留めました。

 

f:id:flection_Re:20220130044626p:image

自担も劇中で同じようなこと言っててウケるね

 

 

 

*1:ステージでお披露目されたのは3本でしたが、代永さんのツイートhttps://twitter.com/numanumakapa/status/1486270654517493762?s=21https://twitter.com/numanumakapa/status/1486271287224061954?s=21で幻の4本目が存在したことが発覚