自戒
ずっと楽しみにしていたリョウガさんのサイン会で完全に自分がやらかしてしまい、ここ数年で一番落ち込んでいる。
REAL?香川初日にトロッコ最前に入ったのに目線のひとつも貰えなかったため、サイン会でファンサを貰おうとした。そうは言っても、別に絶対にファンサを貰えないと満足できないとは思ってないし、その程度で価値の損なわれるようなクオリティの公演ではなかったし、リョウガさんがファンサに特別手厚いタイプのアイドルではないことも十分承知している。運とタイミングのものだから、正直なところ「まあそういうもんか」と思っている。でもやっぱり、連れが隣でユーキさんに完璧な確定ファンサを貰っていたのが羨ましかったし、リョウガさんが自分以外にファンサしたりサインボールを渡したりしている様子を直視できなかったことが、ほんの少しだけ、楽しかったライブの思い出に影を落としていたのは事実だ。であるならば、単に会話の1ネタとして、1回くらい冗談めかしておねだりしてもいいだろうと、軽い気持ちで話を振ってみたつもりだったのだ。
わたしは昔から、「真面目で気難しい堅物」という印象を、自分が認識している以上に人から抱かれやすいようである。「話してみたら想像していた人柄と違った」と言われることが多い。まあ確かに、嘘が下手なので冗談を言ったり言われたりするのは苦手だが、自分が一定程度の好意を抱く相手であれば、馴れ合うようなコミュニケーションが特別嫌いだとは思わない。ある程度わたしと会話したことのある知人各位はおそらく周知……と言いたいところだが、10年来の友人がわたしとだけスキンシップを明確に避けているので「そんなに好かれてないのだろうな……」と思っていたら「せきぐもはそういうの苦手かと思ってやらないようにしてた、嫌いだったらこんなに長く付き合い続いてない」と明かされて拍子抜けする、なんてこともあったので、友人関係であっても、わたしの方から印象の更新をうまくやれているとは言えないのだろう。
そんな第一印象の、信用も関係性もまるでない人間から、「自分だけファンサを貰えていないのだが」という話を唐突にされたら、演者からすれば「怒られてる」と感じて怖いのではないか。
リョウガさんからも結構マジトーンで謝られてしまった。そんなつもりなかったのに。「うるせえよ(笑)」と鼻で笑われてあしらわれるくらいが十分嬉しかったのに。自分にできる最大限かわい子ぶって伝えたつもりではあったのだが、まったく足りていなかったようだ。
その後も何度かループができたが、1時間以内に回りきらないといけなかったため、わたしがそのダメージを引きずってうまく挽回できず、どの回も微妙な空気で終わってしまった。リョウガさんもわたしが来るとかなり慎重に言葉を選んでくれていたように思う。1日に数百人のオタクを捌くただでさえ大変な日に、わたし自身のシンプルなコミュニケーション能力の不足によって、余計な気を遣わせてしまったのが本当に申し訳ない。リョウガさんのことはサイン会の前も後もこんなにも変わらず大好きなのに、サイン会だけが全然楽しめなかった。本当に今でも思い出して新鮮に涙が溢れるくらい悔しくて悲しい。
サイン会後に福岡に住むフォロワーとお茶の予定を入れていたが、博多駅の人混みの中出会って2秒で「リョウガさんに嫌われてたらどうしよう〜〜〜〜〜😭😭😭😭😭」と大声で泣き出す化け物と化してしまい、フォロワーにも申し訳なかった。フォロワーは優しいので、化け物を宥めつついい感じのカフェに連れ出してくれ、「リョウガくんも別に新人じゃあるまいし、たぶんそんな気にしてないから大丈夫だよ」と励ましてくれた。

それは本当にそうだと思う。ではなぜここまで引きずっているのかと言われると、リョウガさんに「あこいつファンサとかそういうところちゃんとやらないと怒るタイプなんだ」と少しでも思われた(かもしれない)こと、そして迷惑をかけたにもかかわらずまだこうやって自己保身しか考えられていないことに対する自己嫌悪、などが主な理由で、どこまで行ってもわたしが1人で勝手にろくろを回しているだけなのである。わたしが勝手に失敗したと思って勝手に1人で傷ついているだけであって、それなのに、そのせいで少なからずリョウガさんがくれた優しい言葉や気遣いを、素直にありがたく受け取れずに、感謝も記憶もうやむやにしてしまっているのもまた申し訳なく……の悪循環である。
人の気持ちを想像することも、人の話を聞いて、それに則した相手が喜ぶ気の利いた返事を即座に返すのも苦手だ。自分が何を話すか、ですぐいっぱいいっぱいになってしまう。加えて前述の第一印象の良くなさだ。これまでの対人関係でも、当然ながらめちゃくちゃ敵を作ってきたし、馴染めるコミュニティも限られていたけど、運良く周りの人に恵まれたことに甘えて、人から好かれようとする努力をまったくしてこなかった。そのツケが今然るべきタイミングで回ってきたにすぎない。全人類に好かれるとか土台無理だしな、と思って、来る者拒まず去る者追わずのスタンスでいたけど、今世界で一番好きな人に自分から嫌われに行くのはさすがに違う。特定の誰かに対して明確に「嫌われたくない」と感じたのは初めてかもしれない。現実の辛さを少し忘れて前向きになるためにアイドルに会いに行くはずなのに、アイドルに会いに行って自分の対人関係と人生経験の乏しさを真っ向から突きつけられている。
DDすぎて悪い意味で接触慣れをしてしまったのもよくなかった。いろんなアイドルに会いに行って、仲の良いフォロワーがいろんなアイドルと楽しそうに話したりレスを貰ったりしている様子をタイムラインで見て、自分ももう初心者じゃないんだしできるだろう、と慢心してしまっていたのだ。短くはないオタク人生の中で、接触現場ではファンサを貰うとか、リア恋営業とか、友達みたいに談笑するのは自分には決定的に向いていなくて、日頃の感謝やお仕事の感想を素直にお伝えするのが一番満足度が高くて相手も嬉しそうにしてくれると、とっくに知っていたはずなのに。調子づいて忘れてしまっていた。どうせ行くなら何か"取れ高"を引き出さなきゃ、という浅ましい気持ちで相手に求めるばかりになってしまって、こんなことが起きてしまった。思えばリョウガさんに直接「ありがとう」「大好きです」と伝えられたためしが無い。
ここ数年で人気が加速し、どんどん8号車を増やしている今の超特急において、顔を合わせて直接言葉を交わせる、こんな貴重な機会があと何回あるかわからない。機会が用意されたとてわたしがそこにたどり着けるかはわからない。そのせいで焦って距離感を見誤ってしまったところも大きい。
やっぱり人との信頼や関係性は、たとえ相手がアイドルだとしても、長い時間をかけて地道に積み重ねる以外の近道はない。昔から応援してきた人を羨ましく思う気持ちはゼロではないが、今のリョウガさんだからこそこんなに好きになれたという確信はあるから、今ここからまたリョウガさんとわたしの関係性を紡ぎ出していくほかないのだ。たとえそれが砂粒を積み上げるような途方もない作業であったとしても。
友人や恋人などの対人関係であれば、相手から自分個人への明確なコミットがなければ関係構築は難しいが、アイドルはその限りではない。アイドルと心で繋がる方法は直接的な対話に限らない。アイドルは、──優しいリョウガさんはいつだって、ファンである我々に、わたしに対して開かれている。超特急のライブを全身全霊で楽しむことを、ライブや各種媒体で発せられるリョウガさんのダンスや、声や、言葉や、表情をできる限り取りこぼさないように、受け取り噛み締めることを諦めなければいつか、今よりもっと強く、想いを共有し合えた、心の距離が少し近づいたと感じられる瞬間がわたしにも来るのかもしれない。
リョウガさんともっと仲良くなりたいよ〜〜〜〜〜〜〜……………………涙涙涙涙涙
えにし
11月8日、超特急22ndシングル『NINE LIVES』の特典会のため、幕張に行ってきた。

エビライが終わってすぐ、夢8とキラリに入会した勢いでCDをアホみたいに(当社比)予約した。前回の特典会に参加したフォロワーにこっそり相場をリサーチしたりしていたものの、当落発表前日にInstagramで超特急公式アカウントを遡っていたら、前回の『Why don't you 超特急?』から今回の『NINE LIVES』にかけて、個人アー写のいいね数が全員1.5倍以上に跳ね上がってることに気がついてまったく生きた心地がしなかったが、無事にリョウガさんのお渡し会と2ショット撮影会に当選した。
当落が出た頃は本当に、本当に人生で一番仕事がキツくて(いや今も現在進行形でキツいんだけど)、逃げ場のない地方の出張先で誰にも頼れず、責任だけは重い仕事を押し付けられて客先に罵倒されまくっていたので、深夜の真っ暗な社用車の中で光る「当選」の文字を見て、嬉しいというよりは安心したのを覚えている。「この日までは生きられる、生きなきゃ」と思った。割とマジでこの日がなければ田舎の寂れたビジネスホテルで首を括っているところだったと思う。
狭くて殺風景なホテルの一室で、毎日疲れ果てて化粧も落とさず電気もつけたまま気を失うように眠り、同じ時間に飛び起きて、重い身体を引きずるように身支度をする。出張先では通勤時間もほとんどないから、この朝の時間に音楽を流すのが数少ない自分の自由時間になっていって、毎日日替わりで超特急の曲を聴いては泣いていた。a kind of love、Burn!、Big Ta-Da!、EBiDAY EBiNAI、What's up!?、Jesus、ラキラキ、asayake…… 超特急には社会人が世の中の世知辛さに歯を食いしばって耐えるための曲が充実しすぎている。ありがたいけど、彼らにもわたしにもなんて厳しい世界なんだろうと悲しくもなってしまう。彼らもこうして自分自身を鼓舞し続けていないと耐えられなかったことがたくさんあったのだろうと想いを馳せてしまう*1。彼らの仕事の量も責任も、わたしとは比べものにならないだろうに。
現場のために自分を着飾るのは得意ではないけれど、仕事にコテンパンにされてヨレヨレのままの自分でリョウガさんに会いに行くのはさすがに癪で、自分のために何かしたいと思った。ちょうど編み物にハマっていたので、自分で編んだ服を着て2ショットを撮りたいなと思いついた。なけなしの休みで手芸店をハシゴして、編み図本と気に入る紫色の毛糸を探し歩いた。
編み物セット一式を出張先にも持ち歩いて、毎朝10分編み物を進めてから仕事に向かうようになった。もちろん超特急の曲を聴きながら。無心になれて精神のMPを温存しておくことができたし、デジタルデトックスにもなるし、何より仕事で奪われ散らかした自己効力感を取り戻すのにとてもよかった。
色も形もめちゃくちゃ好みの紫色のニットビスチェを完成させて、急遽猫耳と名札もゼロから手作りして、当日を迎えた。
特典会当日がリョウガさんの個人イベントの当落発表日でもあったので(どうしてそんなことをするの)、やきもきしながら特典会に臨むのも嫌で、幕張に向かう道中に歩きながらヤケクソで確認した。相当な倍率だったようだがサイン会が当選していて、京王線の乗り場へ向かう東京駅のバカ長い動く歩道で五度見した。もし今日やらかしても次があると安心して特典会に行けたのでありがたかった。
あらかじめ聞いてはいたが、その日の幕張はありとあらゆるイベントが密集して開催されており、駅前がKAT-TUNKAT-TUNKAT-TUNももクロKAT-TUNイコラブKAT-TUNKAT-TUNリトグリKAT-TUNももクロKAT-TUNLUNA SEA超特急みたいになっていた。黒系の服に差し色に紫を身につけている人は全員同担に見えてビビり散らかしていたが、よく見るとだいたいKAT-TUNのトートバッグを持っているので中丸担だった。
駅から幕張メッセまで歩く道すがら、朝から1人で誰とも会話していなかったせいで声がカッッッッッスカスになっていることに気づき、これはまずいと後から合流するフォロワーに急遽電話で準備運動をさせてもらった。緊張すると声がどんどん低くなって吉澤要人さんみたいになってしまう癖があるのでずっと半分裏声で喋っていたが、フォロワーが気づいていたかは定かではない。
午後2時頃、お渡し会最終第4部の受付が始まる。
整理番号などが厳密に決まってるわけじゃないから、自分のタイミングで行かないといけないのめちゃくちゃ覚悟がいる。入口前を無意味に5往復ほどしてから入場する。リョウガさん列の受付のお姉さんがとっても愛想のいい方で、身分証を返却しながら「いってらっしゃい!✨」と朗らかに送り出してくれた。ここはディズニーランドか?
特典会列って純度100%同担しかいないからもっと殺伐としているもんだと思ってたけど、リョウガさんの列はなんだか想像より穏やかな空気感だった。お召し物が乱れてしまって慌てるオタクに、その後ろのオタクが「荷物持ちましょうか?」と声をかけたり、リョウガさんのトレカと一緒に「妊婦さん声かけてください、席譲ります」と書かれたキーホルダーをカバンにつけたりしているのを見かけた。以前もリョウガさんの誕生日にTwitterで「誕生日プレゼントに代えて慈善団体に寄付をしました」と投稿しているオタクを見てそれめっちゃいいな〜自分も来年やろ〜と思ったが、本人が別に積極的に啓蒙したりしてるわけでもないのに社会奉仕の精神が強い人が集まっているのは、やっぱりリョウガさん自身が優しい人だからなのかなぁと考えた。
何分並んだとか考える間もなく順番が来る。荷物を置いて、盗撮機器を身につけてないかチェックを受けてから入室。
お渡し会ではメンバーはバーカウンターにあるような少し高さのある椅子に座っており、だいたい目線の高さが同じくらいになる。他のメンバーはどういう姿勢だったかはわからないが、リョウガさんはさらに目の前のテーブルに片肘をついて、前傾姿勢で覗き込むように出迎えてくれる。指定された立ち位置まで行くと想像よりはるかに近く、少し手を伸ばせば簡単に触れられてしまいそうな距離にリョウガさんの顔があって、それだけで立っているのがやっとという気持ちになった。
想像よりもはるかに小さなお顔に、想像よりもさらにはるかに大きな瞳が行儀良く乗っかっている。衣装と融けあうように澄んだ漆黒で、「黒曜石のよう」という月並みな比喩はこの時のためにあるのか、と思った。
不思議なくらい光を反射しない真っ黒な瞳だけど、暗いとか怖いという印象は一切感じられなかった。とろけるようにめいっぱい眉尻を下げて微笑みながら、誰がどう見てもガチガチに緊張しているわたしが話し始めるのを穏やかに待ってくれている。
加入オーディション受験当時のシューヤさんが「(実際会ってみたら)リョウガくんが一番カッコよかった」と発言していたという逸話*2もあるように、初めて近くで会うリョウガさんはそれはそれはキリッとしていてかっこいいのだろう、とばかり想像していたが、意外にも第一印象は「かわいい」が大部分を占める結果となった。
特典会に来るのは初めてであることと、まずは何がきっかけで好きになったかがわかった方がいいかと思って、正直に「Resplandorが好きで……」と伝えてみた。呆れたような、困ったような、照れたような笑顔のままうなだれられてしまった。おそらく朝から数多のオタクにリクエストされまくっていたのだろう。困らせてしまった矢先申し訳ないが、猫耳の裏側とつむじが至近距離で見られてレアだな……と思った。
言葉が返ってこなかったことにより沈黙に耐えきれなくて、そんなつもりなかったのについ口をついて「セリフお願いしてもいいですか?」と言ってしまった。
リョウガさんはキャリア14年のプロのアイドルなのでもちろんちゃんと応えてくれた。マイクスタンドに手をかける振りをして、イントロから歌ってくれる。
ここまでくるともはやセリフがどうとかは正直全く頭に入ってこず、わたしの発話に対してリョウガさんが目の前でリアルタイムで応えてくれる、という今の状況全体にキャパオーバーを起こして完全に記憶を失ってしまった。側から見たら無駄にヘラヘラしていて本当にキモかったことだろう。せっかくリクエストに応えてもらったのにありがとうの一言もまともに言えたか定かではない。失礼な奴である。
いつの間にか手渡されていたらしい大判のポストカードを握りしめて、「ツーショも行きます」とだけ喉から絞り出した。逃げるように立ち去ろうとしたわたしにも、リョウガさんは「ありがと○○〜」と名前を呼んで応えてくれた。そういえば名札をつけていたんだった。
こういった演者と直接言葉を交わせるイベントに参加するのは初めてではないが、名札をつけて参加したのは初めてだった。いいシステムですねこれ。参加者は「名前を呼んでほしい」という要望をタイムロスなく伝えられるし、演者も対応に困らない。自分の場合は自分が矢継ぎ早に話しかけまくってしまったので、リョウガさんは名札の存在に気づいてから呼ぶタイミングをずっと窺い続けてくれたのだろう。申し訳ない。友人からも名字で呼ばれることが多いから、自分の下の名前を、家族以外の人間から、こんなに囁くように優しく呼ばれたのはいつぶりだろうと思った。
11/8 4部 お渡し会〜フォロワーにご恵投いただいたユーキさんの写真集を添えて〜 pic.twitter.com/QhzBSktaJE
— せきぐも (@pmsr16y) 2025年11月8日
放心状態でひとまずホールを出て、路肩で荷物をまとめているところをフォロワーが捕まえてくれて、安心感で崩れ落ちるように抱きついてしまった。
ここからわたしもフォロワーも最終の9部まで待機のため、フォロワー経由で出会ったオタクにそれぞれのレポを聞いたり、これからツーショに向かうオタクを見送ったりして過ごした。
間にグッズの交換をしたり人混みを縫って食事を取ったり慌ただしく過ごしたはずだが、それでもさすがに9部まで待つのは長いと感じたので、あの時間ずっとほぼノンストップでオタクと写真を撮り会話し続けていた演者たちには本当に頭が下がる。
用意してきた猫耳をつけて、ユーキさん推しのフォロワーとTwitterに順次流れてくるレポを眺めながら、それぞれ何を話そうかああだこうだと悩みながらホールへと戻った。フォロワーの猫耳がスコティッシュフォールドみたいな形状で、よく似合っていてかわいかった。ユーキさんとの身長差を感じたくてヒールのないパンプスを引っ張り出して履いてきたことも教えてくれた。かわいい。
お渡し会で列に並んだ時より少しだけ心の余裕ができたので、他のレーンを眺めてみる。今回はメンバーの衣装が黒基調なのでそれに合わせて黒っぽい服のオタクが多い中、明らかにユーキさんの列だけが燃え盛るように真っ赤で笑ってしまった。一緒に入場したフォロワーが先に終わったようで、ちょうどその真っ赤な列の横を軽やかな足取りで歩いていくのが見えた。
スタッフにスマホを預けてブースに入ると、リョウガさんが画角のチェックをしてくれているのが見えた。立ち姿だとさっきより頭の小ささが際立って、シュッとしていてかっこいい。リョウガさんの大きな瞳がわたしの姿を捉えるとキリッとした表情に変わり、掌でわたしの立ち位置を指して迎え入れてくれた。挨拶も忘れて思わず笑い声が漏れる。リョウガさんの独特の出迎えがかわいくておかしかったのもあるけど、どちらかというとやっぱり、リョウガさんが目の前にいて、自分の一挙手一投足に応じてレスポンスが返ってくる、自分の存在や言動が好きなアイドルの言動に影響を与えている、という状況がありえなくて、飲み込みきれずに溢れてしまった感情だった。
お渡し会よりもはっきりとした声音で名前を呼んでもらえた。撮影してすぐさま「耳すごいじゃん」と褒めてくれた。ビスチェも作ってきた旨をお伝えすると「天才かよ!」と畳み掛けてくれた。制作途中に「作ってきたこと自分で申告するべきかな……」と相談したら「アンタそれ何のために作って着ていくつもり⁉️」とブチギレてくれたフォロワーには感謝しかない。衣装とお揃いのつもりで奮発して買った黒いレースのスカートも、リョウガさんの方から気づいてくれた。たくさん褒めてもらえたのに喋るのに必死で、やっぱりお礼のひとつも言えなかった気がする。
サイン会の当選を報告したら驚いたようなリアクションをされたので、本人も予想以上の落選報告を聞いてショックを受けていたのかもしれない。始まる前はこれが最初で最後……くらいに思っていたのに、すっかり次の約束ができるのが嬉しかった。現金である。
追い詰められていた時に出会えて本当に救われました、と感謝を伝えたい気持ちは山々だったけど、本気で泣いてしまいそうで言えなかった。せっかくの初めましてをしんみりさせたくなかったし、言わなくて正解だったと思う。気が向いたら手紙にでも書こうかな。わたしがリョウガさんに手紙を出す時って来るのだろうか。
フォロワーと合流して慌てて会場を後にし、KAT-TUN帰りとディズニー帰りの人混みをタッチの差で躱して東京駅のプロントに逃げ込んだ。打ち上げのつもりだったのに、2人して各々のツーショを無言で眺め続けていて笑ってしまった。
11/8 9部 ツーショ会
— せきぐも (@pmsr16y) 2025年11月8日
自分の写真写りが素人すぎてビックリ‼️何はともあれリョウガさんかわいくてかっこよくてたのしかった‼️ pic.twitter.com/Ufv7UcKWqI
最近だと「推し活」の悪しき側面として取り沙汰されることも多い特典会だが、やっぱりわたしにはかけがえのない時間になったし、参加できてよかった、開催してくれてありがとう、と思う。
タレントを殺風景なホールに丸1日閉じ込めて、代わるがわるやってくる数百人のオタクと会話し続けるという心身ともに負荷の高い業務をさせるのは、やっぱり労働環境としては非人道的と言わざるを得ないし、オタクに札束の殴り合いで特典会参加権を奪い合わせるついでにCD売上を稼ぐやり方もまったく持続可能ではないから、どちらも何らかの規制が作られるべきだと思う*3。それでも、多くのコストをかけて、葛藤を抱えてでも特典会に参加したい、会いに行きたいと思ってしまうのは、自分とアイドルの間を繋ぐ関係性の糸がたしかにあることを実感できるからかもしれない。
わたしは、アイドルとファンの関係も、儚く歪ではあるかもしれないが、一方的な信仰でも消費でもない数ある人間関係のひとつのかたちで、それ以上でも以下でもないと思っている。ファンの立場しか味わったことのない自分のただのエゴかもしれないし、アイドル側は本当はどう思っているかわからない(リョウガさんは特にわからない)けど、少なくともわたしはそうであってほしい、と思っている。
我々ファンは、参加することができたライブ、見聴きすることができたメディア、日々更新されるSNS、それらを介して感じ取ったアイドルの一瞬の言動、表情、仕草といったその人のかけらを集めて自分だけのアイドル像を自分の中に結び、それを愛している。その像はファンの数だけ生まれ、そのどれもがそのアイドルその人の本質そのものではない。でも、その切ないすれ違いはアイドルとファンの関係性に固有のものではなく、我々が日常生活の中で友達、家族、同僚、恋人に見せる顔がそれぞれ異なって存在することと大差ないと思う。だからこそ、相手が身近な人であっても、アイドルであっても、自分とその相手との間にだけ生まれる、同じものはふたつとない唯一の関係を結ぶことができる。それが双方向のものとして存在することを確かめるために、顔を合わせて話してみたいと思うのかもしれない。たかが数十秒で、と思われるかもしれないけど、たった数十秒でも直接同じ空間で、一対一で顔を合わせて言葉を交わすことで得られる情報量はとてつもなく多い。言葉や表情だけでなく、目線、間合い、空気感。
TLに流れてくるレポを斜め読みするに、リョウガさんはたぶん、特にファン1人1人に合わせて対応を変えてくれるタイプのアイドルだ。だとすれば、わたしを目の前にした瞬間にだけ現れるリョウガさんの姿が明確に存在するわけで、それはこの世でわたししか知り得ない。そんなわたしの瞳だけに映るリョウガさんが、(サービスを提供する側とサービスに金を払ってそれを享受する客という力関係の存在は当然無視できないにせよ)対等な1人の人間としてわたしと向き合って、リョウガさん自身が思い考えるリョウガさんなりの方法で、わたしが自分と過ごすわずかな時間を、できる限り実りあるものにしようと優しく気を配ってくれているのが、それがわかるのがこんなにも純粋に嬉しい。ファンとしてきちんと愛されていると感じる、と言うとやや聞こえは大仰だが、少なくとも、リョウガさんとわたし──アイドルとファンの間に"本物"の情緒的な繋がりはないなんて、そんなわけはないじゃないか、と、ライブとはまた異なる形で思わせてくれる。
そしてわたしはまた、リョウガさんがわたしにだけ見せてくれた姿を材料に、わたしの中にしかないリョウガさん像に筆を加える。それは、認知が欲しいとか特別扱いされたいとかよりももっと根源的な次元で、わたしがリョウガさんに向ける感情を、リョウガさんとわたしを繋ぐ朧げな何かを、唯一無二の特別なものにするには十分すぎる。ただ目の前にいるだけ、目が合うだけ、「ありがとう」「また来てね」とありきたりな言葉をかけてくれるだけで魔法はかかる。でもその魔法は、彼らが元より「アイドル」と呼ばれる特別な魔法使いとして生まれたからではない。日々の仕事に全身全霊で打ち込む中で、人を喜ばせる技術をひたすらに磨いてきた、真面目で優しい1人の人間だからだ。
これまで自分が好きになったアイドルは、アイドルという仕事だからこそ実現できる表現したいものを自分の中に確固として持ち、それを目指して活動している人が多かった。その人がなりたいと願う姿に近づいて、それが自分の見てみたい景色と重なることが嬉しくて、アイドルのオタクをやってきた。
リョウガさんにとってのそういうアイドルを続けるモチベーションが何なのか、正直まだあまり掴めていない。リョウガさんがアイドルという仕事のこと、我々ファンのことをどう思っているかはさっぱりわからないし、推し量りようもなくて、ファンとしての心持ちをどこに置くべきか戸惑っていたけど、今はせめて、あなたがアイドルとして存在してくれるおかげで、楽しく生きている人間がここに1人いますよ、ということを、自分なりに示していくことができたら、それで十分だと思える。
君のマニュアルは 存在しないから
どんな時でも 僕の想い
ちゃんと届いてる? 確かめていたい
*1:このブログを書いていたら公開された「今年メンバーを支えてくれた曲」プレイリストにて、リョウガさんも『What's up!?』を選曲していて泣いたhttps://x.com/sd_bt/status/1998558283288952966?s=46&t=O5mwZ8K8QUZ-1ez9Y8OY-w
*2:「超アーティストオーディション」特集| 超特急リョウガ×シューヤ×マサヒロ それぞれにとっての“オーディション” (2/3) - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
*3:余談だが、京都特典会も前日のフェスが大トリで出番が22時近くなり、ハシゴ予定だったオタクが新幹線に間に合わなくなるという哀しい事故が起きていたので、オタクのためにも無茶な移動スケジュールも避けてあげてほしいと思う
船津稜雅に負けない3番勝負
人類は3種類に分けることができる。
リョウガさんを好きな人、
リョウガさんを好きなことにまだ気づいていない人、
そしてリョウガさんを好きなことを認められない人だ。
最後が2025年夏までのわたしです。
超特急の名前を初めてちゃんと認識したのは2018年頃だった。別アーティスト目当てで台風の中フェスに行き、泥だらけで帰ってきた母からブチギレながらその名を聞かされたのが印象的で覚えている。どうにも当時そのフェスに来ていたファン(8号車)の態度が悪くて腹が立ったらしい。自分は実際に現場を見ていないので、当時はまあアイドルがフェスに参加するならそういうこともあるだろう、くらいの気持ちだったが、あまり良いとはいえない第一印象だった。
それから5年ほど経ち2023年、超特急と同じくスターダストプロモーションに所属するオルタナティブ歌謡舞踊集団・龍宮城のオタクになった。オーディション映像やSNSを遡ればすぐに、メンバーの数名はEBiDANの研究生出身であったことを知った。
これを機に、組織名だけはうっすら知っている程度だったEBiDANのことも、龍宮城と並行して知っていくことになった。龍宮城のRayさんがEBiDAN研究生としてタカシさんから熱心に歌を教わっていたり、
たまたまインスタで流れてきて、別の好きなアイドルに似ているなと思っていたイケメンが超特急のタクヤさんであることに気がついたり、それを機にみなと商事コインランドリーを一気見したり(超特急のみどりの窓口の二つ名は伊達ではない)、ちょうど同時期に放送が始まったDAN!DAN!EBiDAN!を見たり(この番組のおかげで長野凌大さんのかわいさに電撃が走り、ゲンジブ観測所にも入会した)。
もちろんYouTubeのMVやライブ映像、音楽サブスクで楽曲にも触れ、多様なグループがそれぞれのオリジナリティを確立させながら面白い活動をたくさん行っていることを知ることができた。超特急に対しても、かつての悪印象はどこへやら、そんな彼らを先陣切って牽引してきた素敵な先輩グループとして、すっかり好感を抱くようになっていった。
タクヤさん以外の超特急メンバーの顔と名前はダンエビのおかげかいつの間にか頭に入っていた。リョウガさんもその1人であったが、曲によってはセンターにいたり変顔で抜かれたりすることも多いから、比較的覚えたのは早い方だったのではないかと思う。
そして何より、これまでのオタク経験に基づく勘から、「こういうタイプの人に真剣にハマってしまった時が一番大変なことになる」という確信だけはめちゃくちゃにあった。バラエティ要員のようでいてステージ上ではやる時はやる、飄々としているようで面倒見のいいリーダー。少しでもこちらが隙を見せればブラックホールよろしく引きずり込まれてしまうに違いない、こんな人のことを簡単に好きだとか言ってしまってはいけない──。一目見て間もない頃から、リョウガさんに対してだけはずっとそう思っていました。こんなことを言っている時点で負け確と言われれば、今となってはその通りである。
1本目:2024年11月23日 Livejack 2024 SMASH BEAT SP

本当は8月のエビライにも行ったが、龍宮城のオープニングアクトが決まった後に慌てて注釈チケットを確保したらガチでスナイパーの席だったため、ステージ中央にいる超特急を視認することはおよそ不可能だった。よってこの日がようやく、初めて超特急のパフォーマンスをまともに生で見られる日となった。
当時はようやくメンバー全員の顔と名前が一致するかどうかといった段階で、今日生で見て一番好きなパフォーマンスをしてくれる、いわゆる「推し」を1人に絞れるといいな〜……などと漠然と思っていた。超特急に限らず、アイドル個々人の魅力は生で見ないと伝わらないものがたくさんあるのはこれまで入ってきた現場で重々理解していたから、超特急を真正面から浴びた自分がどうなるかは、この時は想像だにしていなかった。
げんじぶを目当てに来ていたためげんじぶのペンライトしか持っていなかったが、龍宮城の冨田侑暉さんが研究生時代親しくしていたとのことで、とりあえずハルくんのメンカラであるオレンジを点灯して超特急の出番を待った。この時点で客席の光量が他アーティストの倍以上になっていてすごかった。
自分はアイドルオタクだが、ダンスを鑑賞する素養は全くないなと思う。時々アイドルが出演するダンスバトル番組などで高く評価されるダンスを見てもあまり心動かされてこなかった。音楽に思い入れの強いアイドルや歌心のあるアイドルは少なからず好きなので、ダンスにおいても技術的な上手い下手を問わず、その曲の世界の登場人物を演じるように、物語や時間や空気の流れに身を任せるように、しなやかにたおやかに踊る人が好きだなぁと思っていた。何なら超特急に関してはメインダンサー&バックボーカルという特殊な編成でパフォーマンスを行うため、消去法でせぶいれのどちらかが「推し」になるかもなぁとさえ、この時はまだ思っていた。
超特急のステージが始まる。超特急はコミカルな楽曲も多いため、どちらかというと上述のわたしの好みとは異なるパワフルでキャンプなダンスを踊る人が多い印象がある。黄色と黒の統一感のある衣装で登場した9人は立ち姿だけでめちゃくちゃカッコいいけど、メンカラがないとまだちょっと見分けがつかないかも……と不安になったのも束の間、明らかに動きとオーラでわたしの視線を惹きつける人が1人、いる。そしてその繊細な痩躯はさすがのわたしでも見間違えるわけがなかった。
──リョウガさんだ………………
「こういう人には絶対にハマってはいけない」と思っていた人が自分の好みど真ん中のパフォーマンスを目の前でしている。力まずゆるやかに、けどもちろん決して手を抜いているわけではない、ゆったりと時間とステージの空気の流れに身を任せて、薄くて美しいヴェールがたなびくように踊る。
グループ全体のパフォーマンスとしては本当に楽しくて、エンターテイメントとして完成されていて、純粋に見られてよかったなあ、次はワンマンで見てみたいなあという気持ちに満ちていたけど、それはそれとしてどこか「どうしよう」という感情になった。終演直後、ふと自分の手元を見ると、いつの間にかペンラが紫になっていて恐ろしかった。
別の席で見ていたタカシさん推しのフォロワーをわざわざ呼び戻し、京橋のポムの樹で話を聞いてもらった。当たり前だが、オタクが新たな推しに正面衝突して狂う瞬間なんて側から見ているオタクは面白がるに決まっているので、先人からさまざまな入れ知恵を頂き、わたしの「どうしよう」には拍車がかかるだけだった。「わたしがこの人にハマったらとんでもないことになる、抵抗しなければ」という思いも、以前より確かなものとなった。
2本目:2025年6月21日 BULLET TRAIN ARENA TOUR 2025 EVE

スマビの衝撃も徐々に薄れ、本命である龍宮城やげんじぶの現場に通うなどして穏やかに過ごしていた頃、ユーキさん推しのフォロワーから連絡が来た。「超特急のツアー神戸公演のリセールを取ろうと思うが一緒に来ないか」という内容だった。
生きてる間に1回はワンマン見られたらいいな〜と思っていたらこんなにも早々に初乗車のチャンスが巡ってきて驚いた。二つ返事で快諾したが、チケットが鬼倍率になっていることも聞き及んでいたので、行けたらラッキーくらいの気持ちで待っていたらフォロワーが先着の機材開放まで粘ってチケットを用意してくれた。チケットが取れた瞬間フォロワーからセトリとコール一覧の資料が届き(仕事が早すぎる)、プレイリストをループしながら必死で目を通しているうちにすぐ当日になった。
「船津稜雅に負けない2025‼️」と高らかに宣言してからGLION ARENAの入場口を抜け、ユーキさん推しのフォロワーとシューヤさん推しのフォロワーに挟んでもらう形で着席した。ペンラはまだ買わずに、フォロワーから赤と緑とチャコールをお借りした。周辺のオタクからしたらお前は誰推しなんだとさぞかし混乱したことだろう。申し訳ない
機材開放席とはいえスタンド正面で、ステージからセンステまで全体を見渡すことができて演出までしっかり楽しむことができてよかった。
「Bloody Night」という曲がある。グループ史においてもかなり初期にリリースされた、ヴァンパイアの叶わぬ恋心を歌ったゴシック調の楽曲で、センターをリョウガさんが務める。個人的にすごく好きでよく聴いていた曲だった(何ならリョウガさんセンターであることはこの公演の直前に知った)ので、セトリ一覧にタイトルがあって純粋に嬉しかった。
白装束のような衣装の上からMVと同じように黒いマントを羽織って2人が歌い、7人が踊る。「生命の誕生」を裏テーマに持つらしいこのツアー全体の荘厳なイメージも相まって、リョウガさんが本当に大きな古城に独り棲む孤独な吸血鬼に見えてくる。この曲がシューヤさんとのツインボーカルで歌われるのはこのツアーが初めてだったが、彼の得意とするこぶしと情感あふれる抑揚、そしてもちろんタカシさんのイノセントなボーカルとの息の合ったハーモニーに、どんどん楽曲の世界観に引きずり込まれていく。
ところでわたしは夢小説を読み、シチュエーションCDを聴き漁って育ってきたゴリゴリの夢女子である。大サビ前のリョウガさんのセリフパートにたどり着く頃には、完全に自分を曲中世界の想い人だと思い込む異常者が爆誕していた。
「ずっと、ずっと君だけを──……」
気がつけばコールをすることも忘れ、借り物のペンラを胸にひしと抱きしめてさめざめと涙を流していた。「彼の孤独に寄り添えるのはわたししかいないのだ」という気持ちに完全に取り憑かれていたのだ。これにはさすがに両サイドのフォロワーも二度見していた。異常者だった。
「a kind of love」という曲がある。こちらもリョウガさんのセンター曲だ。一聴するとアイドルソングらしい正統派ミディアムバラードだから、正直ライブで聴くまでわたしはこの曲を舐めていた。
この曲は言ってしまえばラブソングだが、ただのラブソングではない。(異性同士の)恋愛的な意味に留まらない、家族、友人、メンバー、アイドルとそのファンetc.──あるいはそのような名のつかない関係すべてを包括する、愛の本質の歌だからだ。損得感情や生産性を超えて、その相手に唯一無二のコミットの仕方で、想いを届け、心で繋がり合う。この繋がりが無くたって世界は滅びたりしないし、生活は続いてゆくけど、「それでもね」、という、無常さと切実ささえ見事に描写された世紀の名曲である。(この曲のさらに詳細な解釈についてはフォロワーが書いたこちらの神ブログを読んでください→ それでも、僕には君が必要と思えること 〜アコースティック超特急「せぶいれのうた」(初)乗車記〜 - 光を見ている)
リョウガさんはあまりにもわたしの好みのダンスを踊ってくれるから、遠巻きにずっと見ていると「次はこのラインを通って体が動く」「リョウガさんならここではきっとこういうニュアンスをつける」みたいなことがだんだん予期できるようになってきて、だいたいその通りになる(※初乗車です)。だけどこの曲の時だけは違った。キラキラと多幸感溢れるサウンドに乗せて、時折ファンサやカメラアピールを織り交ぜながら弾けるような笑顔で踊る他メンバーと比べると、リョウガさんはもっと広い視野で会場全体を眺め、満足そうに微笑んでいるように見えた。まるで会場の一番端のペンラ1本の光すら見逃すまい、忘れまいとしているように思えた。
そんなリョウガさんを見ていると、「この人には絶対にアイドルとして幸せになってほしい」という気持ちで胸が締め付けられた。関係値ほぼゼロに等しいわたしにすらそう思わせてしまうことそのものが、彼の魅力であり抗いがたい引力なのだろうということも、薄々理解し始めた。
ラストスパートの「超えてアバンチュール」ではもう何の躊躇いもなく「リョウガのせい!リョウガのせい!」と喀血する勢いで絶叫できるようになっていた。またしても両サイドのフォロワーが二度見して爆笑していた。
3本目:2025年8月16日 EBiDAN THE LIVE 2025 HOTEL NINE STAR

夏になると自分の仕事が爆発的に忙しくなり、絶対すっぽかしちゃいけない仕事を大揉めの末休んで無理やり現場に行ったり、それでも泣く泣く諦めなければいけない現場が増えたりした。正直あまり記憶がない。
「気が向いたら行こうかな」くらいの軽い気持ちで押さえていたエビライのチケットも、いつしか盆休みフル返上の出張を耐え凌ぐ唯一の心の支えになっていた。
閉め切って薄暗いビジネスホテルの一室で、重い体を引きずるように身支度をしながら音楽を聴く朝が唯一の自分の時間になりつつあったある日、「確か今年のエビライの選抜ユニット曲は先行配信されているんだったな……予習がてら聴いとくか……」とぼやけた頭で思い出し、Apple Musicを起動した。
デレレレン🎶デレレレン🎶デレレレ🎶
チャラララララララ🎶ドゥルルルルルルル🎶ダーン🎶
「離さないぜ──……」
この瞬間、何かのリミッターが完全に壊れた音が聞こえた。
人は疲労とストレスが最高潮に達すると、ガチ恋感情に抵抗することが完全にできなくなるということを身をもって知った。
この日からというもの、情熱アチチ♡恋泥棒「Resplandor」を1曲ループで聴きまくり、♡♡♡♡♡リョウガさんかっこいい♡♡♡♡♡の感情に取り憑かれる毎日を過ごすことになってしまった。どう見てもネタ枠の期間限定ユニットに本当に恋泥棒されてしまったのである。とてもではないが全世界に晒すのは憚られる醜態だった(あと公開アカウントのフォロワーに見られるのは恥ずかしかった)ので、鍵アカに篭って沸き立つ虚妄やメロメロを吐き散らかした。げんじぶ名義でチケット取ったのに完全に「絶対にリョウガさんに会いに行くんだ」という気持ちでエビライまでの時間をなんとか生き延びた(長野さんごめん)。
当日の記憶もなんだかフワフワしている。物販会場だった代々木第二体育館までの灼熱の石畳をオタクに揉まれて朦朧としながら歩き、気づいたら2人分のうちわを手にしていた。
現地で見られたのは2日目の1回だけだったから、コールに全力を注ぎたい気持ちとこの光景を静かに目に焼き付けたい気持ちとに踏ん切りがつかなくて、どちらともつかず1人であたふたしているうちにResplandorは終わってしまった。客降りも逆サイを引いたけど、トロッコのへりに体重をかけて少し気怠げに、でも優しく客席に手を振るリョウガさんのシルエットがとっても綺麗だったことだけ覚えている。
エビライが終わってもなお、ぼんやり働いて眠る以外のなけなしの自分の時間は、U-NEXTのアーカイブを繰り返し見るばかりであった。
YouTubeにも上がったのでせっかくなので皆さんも見てください
まだ「過労による一過性の感情なのではないか」という疑念も拭えなかったけど、まあこの後秒で飽きてもそれはそれでオモロいか……と思って、


こうなった。
何ならキラリは年額で入った。
約9ヶ月間に渡った3本勝負、0勝3敗で完全敗北の瞬間である。
時間が経つとともにガチ恋感情はちょっとずつ落ち着きを見せつつあるものの、超特急とリョウガさんのことは今でも毎日大好きで楽しい!夢8入会の勢いでCDを××枚買ってリョウガさんと2ショットを撮る権利を手に入れたり、フォロワーとツアー連番で香川に行くことが決まったり、あんなに抵抗していたのが嘘のようにどんどんリョウガさんにメロメロになりにいくぞ〜✊という気持ちで日々を過ごしています。
あと仕事は9月にさらに地獄の様相を呈し、毎朝超特急の曲を日替わりで聴いて泣いてから出勤していました。このタイミングで超特急に、リョウガさんに出会っていなければ乗り切れなかったと思います。本当にありがとう。
まだまだ知らないことだらけだけどそれもまた楽しんで、これからもメロメロにさせてください。冗談です。お手柔らかにお願いします。
演じることとは生きること──龍宮城 SPRING TOUR 2024 -DEEP WAVE- 感想
年度跨ぎのバタバタする時期ではありましたが、演者もオタクも本当にお疲れ様でした。


また物販に必死すぎてまともな写真が撮れなかった
よかったところを語りだすとキリがないほどありますが、本エントリは最新EP『DEEP WAVE』収録曲と、本編中に散りばめられた演劇的な要素に特にフォーカスを当てた感想文になりました。そのため、各メンバーへの言及にものすごい偏りがあることご容赦ください。
ふたつの『BOYFRIEND』
Zeppで開催されるライブ公演としては珍しく、開場時点ではステージが幕で完全に隠されている。その幕が中央から開き、淡い桃色の照明が後光のように差し、既にステージ上でポーズを取ったメンバー6人の姿が現れるところから公演は始まる。ただ1人、KENTさんだけがステージ上手後方の紗幕をくぐり抜けて登場し、始まる1曲目はツアータイトルでもある『DEEP WAVE』……ではなく、初披露となる彼のソロ曲『BOYFRIEND』である。
ライブ終盤も最後の曲を歌い切ると、1人ずつ何かに導かれるように紗幕の向こうへ姿を消し、1人ステージに残ったKEIGOさんが意味ありげに客席を見つめる中、幕が閉じられて公演が終わる。アンコールもない。
アイドルグループやアーティストのライブ演出として、演劇の要素を取り入れることは今日日珍しいことでもないが、彼らが、アヴちゃん先生が何を伝えたかったのか汲み取らんとした時、そこに何かしらの明確な意図を見出さざるを得ない。
アヴちゃん先生は、のちに彼らが背負うことになる『オルタナティブ歌謡舞踊集団』という肩書きを以下のように解説する。
「(前略)昭和にある音楽っていうのが『歌謡』とされることが多いなと思ってます。ただ、私の解釈が入ると、曲の世界をとても大事にしている音楽、曲の世界に入っていく音楽を『歌謡』と、私は思っています。」
「『舞踊』と聞くと何か浮かぶ人いますか?(中略)調べてもらうと『踊ること』くらいしか出てこないんですよ。だけど、(中略)やっぱただ踊るだけじゃない。舞って踊ってストーリーを、世界を伝えるっていうことで『歌謡舞踊』とさせて頂きました。」
──『0年0組』第1話より
楽曲の世界観に没入し、楽曲の持つ物語へと聴き手を引き込む表現を追求することこそ、彼らが課された至上の使命であることは明らかである。それは言い換えればつまり、何かを≪演じる≫ことで、龍宮城がただ"歌って踊って観客を楽しませるボーイズグループ"に留まらない、深みのある表現を追い求める集団であり続けるということであり、そうあり続けること自体が、龍宮城を龍宮城たらしめ、彼らが真に我々に訴えかけたい想いやメッセージが浮かび上がってくるのではないだろうか。
1曲目に歌われた『BOYFRIEND』は、タイトル通りボーイフレンドとの関係性に悩み苦しむ主人公を描いた、龍宮城の楽曲の中でも珍しくストーリー性の高いラヴソングである。たしかに龍宮城の楽曲の中でも特に確立された世界観を感じさせる楽曲であるが、この楽曲をリード曲を差し置いてまでライブの冒頭に持ってきたのはやはり、今から始まるライブでは誰か、何かを≪演じる≫ことで伝えたいことがあるのだ、という意思表示のように感じられる。
『BOYFRIEND』という楽曲に対して、アヴちゃん先生は次のようにコメントを寄せている。
━━━━━━━━━━━━━━━
— 龍宮城 OFFICIAL / 0年0組 (@RYUGUJOofficial) 2024年3月17日
𝐄𝐏 "𝐃𝐄𝐄𝐏 𝐖𝐀𝐕𝐄”より
『𝐁𝐎𝐘𝐅𝐑𝐈𝐄𝐍𝐃』
女王蜂 アヴちゃんコメント 到着@qb_avu
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Now on Streaminghttps://t.co/aU1v3mVOXI@qb_announce#龍宮城 #DEEPWAVE#BOYFRIEND pic.twitter.com/GzWUKowe2q
『誰かの叫びを己としても叫ぶこと』
表現者の本分には、小手先の演技では足りない。
それではリアルが救われない。
自分ではない誰かに成り代わることによって、自分の心に湧き上がる感情を表に具現化させること。それはきっと、見聞きした観客の心にも第四の壁を超えて共鳴し、言葉以上に深い次元で「リアル」な感情を震わせるだろう。昨年メンバー全員がドラマ・舞台と俳優業を経たうえで、本物の表現者となるべくさらにもう一段階、複雑で繊細な表現を彼らが会得するための"課題"として、これらの演出が施されたのかもしれない。
今回の公演の『BOYFRIEND』にはもう一つギミックが仕掛けられている。ライブも終盤に差し掛かった頃、今度はボーカルがKENTさんから冨田さんに代わって同曲が披露される。
冨田さんといえば、『0年0組』序盤で憧れのアイドルをトレースしすぎていることを先生に指摘され、表現の芯となる自分だけの"ヤバさ"を確立することに特に苦心していたメンバーの1人である。がしかし、デビュー決定以降の彼は、メンバー内でも頭ひとつ抜きん出た伸びしろを見せ続け、ステージに立つたびにファンを騒然とさせている。わたしが彼の底知れなさを明確に意識し始めたのは、音楽劇『秘密を持った少年たち』での鬼気迫る演技を観てからなのは確かである。
"憑依型"などと言ってしまえば陳腐だが、穏やかに微笑んでファンサを振りまいていた優しい彼からは想像もつかない見事な豹変ぶりだった。物語終盤で仲間にやむを得ず見捨てられたことにショックを受け、自暴自棄になって仲間を襲いまくるダークホースを見事に演じ切っていた(公式で映像がほとんど残されていないのが本当に惜しい)。
音楽劇以降のライブでは、雄々しいシャウトを生かしてラップパートや煽りを担当する機会が明確に増えた。芝居で培った経験が、表現者としても着実に実を結んでいるのが、客席から見ても手に取るようにわかって喜ばしい限りである。
『BOYFRIEND』においてもその高い演技力は健在で、表情をくるくると変えながら、歌いながら手振りを歌詞に合わせてみたり、歌詞の一部を台詞のように語りかけてみたり、1本の映画のように生き生きと、かつ切実に、繊細に歌い上げられていた。曲のラストにはKENTさんがボーイフレンド役として主人公の冨田さんを引き留め、歌詞の通り冨田さんがそれを突き飛ばして拒絶するという一幕が追加されており、むしろ本家のKENTさん以上にドラマティックなパフォーマンスに仕上がっていた。
結果として楽曲選抜オーディションに勝ち抜き音源化が叶ったのはKENTさんであったが、それと対をなす存在感でこの物語を豊かに表現できるのは、確かに冨田さん以外にいないと思わされた。『0年0組』での昭和歌謡ボーカル試験ではライバルとして同じ曲でしのぎを削った2人であり、またその課題曲がREBECCA『フレンズ』であったことにも、必然めいたものを感じざるを得ない。
これまでの公演ではソロ・ユニット曲の別メンバーカバーは聴き比べるかのように本家と立て続けに披露されることが多かったが、『BOYFRIEND』はそれぞれセトリ1曲目と終盤のクライマックスと、セットリストにおいて特に重要な場面に独立して配置されていることからも、公演全体を通してもこの曲が重要なファクターであることが窺える。
さて、このような演劇的技巧を通して、彼らが今回のツアーで真に伝えたかったこととは果たして何なのか。
『DEEP WAVE』という楽曲について
龍宮城のこれまでの楽曲は、好き勝手に口出ししてくる有象無象を突き放し、己と向き合い、闘い、真に強く"孤高"であることを歌うものが多かったように思う。
見たことないのによく言えちゃうね
──『Mr.FORTUNE』より
この世界 自分に打ち勝ってこ
「代わりはいるよ」なんて 考えられない!
ぴかぴか 光るのは超ロンリーオンリー
──『2 MUCH』より
振り切り上げて見えるもの どうしても消えない傷跡を
誇れば強くなれば昇る朝日は来る いますぐ勝負!
ベガ立ち決め込む ギャラリーマジ参観日
やりに行かない奴が言うなし
──『SHORYU(→↓↘️+P)より
「オルタナティブ歌謡舞踊集団」を標榜し、オーディション番組という壮絶な闘いを生き残った彼らが歌に込めるメッセージとして、これほどまでに説得力のあるものは確かにない。「全員許さない」という怒りを原動力にバンドを立ち上げ、走り続けてきたアヴちゃん先生の思想の延長としても一貫性がある。ライブでは持てるエネルギーすべてをステージに叩きつけて帰るんじゃないかと思うほど気迫溢れるパフォーマンスを受け止めるのにいつも必死だし、日常を生きる中でもここぞという局面で本当に心の支えになってもらっている。
がしかし、わたしもメンバーもただの人間であり、常に闘争状態にはいられない。グループの持続可能性を顧れば、がむしゃらに死力を尽くすことで表現できる"ヤバさ"だけでは、今後どこかでガス欠を起こすことは避けられない。
今回のツアーに合わせてリリースされたEPのリード曲『DEEP WAVE』はタイトルの通り、気まぐれな波のように変化するBPMと、静かで豊かな深海を目指して水中を深く深く潜るようなサウンドが心地よい独特の楽曲である。音楽的な評論はその道の人に任せるとして、歌詞やパフォーマンス含め楽曲全体が纏う空気感が持つメッセージには、「今、この瞬間に己のすべてを懸ける"動"の覚悟」を歌うこれまでの楽曲群とは一線を画す、「未来をまなざして泥臭く"今"を積み立てる、どこか諦念めいた地に足のついた"静"の覚悟」と、「他者との出会いと別れへの前向きな願い、希望」が込められているように感じる。
ボーイズグループは永遠ではない。当たり前の事実だが、ここ数年の世の中は特に、彼らがこれからも変わらない姿でステージに現れてくれることをどこか当然のように信じてしまっている自分にはっとさせられるトピックが多かったように思う。龍宮城も、下世話な言い方をすれば「流行りのサバイバルオーディション番組から生まれたセンセーショナルなグループ」のひとつに過ぎないのだからなおさら例外ではなく、今の勢いのままどこまで走り続けられるか、誰にもわからない。わたしは、万一の時に受けるショックを最小限にするために、あまりグループの方向性や将来について詳細な期待を抱くことをどこか避けていたところがある。
『DEEP WAVE』を聴くと、わたしが想像していたよりもはるかに現実的・長期的に、かつ前向きに、彼らとアヴちゃん先生がグループの持続可能性を見据えていることが窺い知れる。ひとたび留まればみるみるうちに腐っていく濁流の中を、明るく呼吸のしやすい水面に背を向けて、ライフワークとして泳ぎ続けていく覚悟。一世一代の大勝負に懸けるときとはまた違う、静かな覚悟。
期待通りになんて
いつも通りにだって
来る約束もない
それでいい
メンバー全員にとって、必ずしも思い描いた通りのたどり着きたかった場所ではないと思う。完璧に居心地がいいものでもないと思う。でもそれは、スケールの大小はあれど、息苦しい仕事、学校、社会でなんとか豊かに生き永らえようとする我々もきっと同じ。
『DEEP WAVE』に希望の明るさを感じるのは、孤独にもがき苦しむ間に、同じように濁流を彷徨う誰かと出会い、別れゆくことをささやかに祝福しているように感じるからだと思う。そしてその祝福を通して、孤高の表現者だった彼らが、我々観客ともやさしく目を合わせてくれているような気がするのだ。
角を曲がり続けて気づいたらここへ戻ってきていた!
──Rayさんポエムパートより
濁流の中では前も後ろもわからない。自分の今の進行方向が正解なのかもわからない。がむしゃらに進んでいるつもりになって、同じところを周遊しているだけだったことも往々にしてある。戻ってきたとて、あの頃の景色も人々も、めくるめく濁流に押し流されてすっかり変わってしまっているかもしれない。次にその場所で手を繋ぐ相手は、以前とは違う人物かもしれない。その様子はまさに輪舞のようであり、『0年0組』で経験した出会いと別れを歌った『RONDO』に重なる*1。デビューメンバー決定からちょうど1年を控えたこのタイミングでこの曲がリリースされたことにも、大きな意味があるのだろうと思う。
溺れず潜り合い 沈まずに見つけたよ きみを
春空さんがそのふくよかな歌声で力強く抱きしめてくれるかのように歌い上げるパートだが、ライブでは春空さんをリフトするRayさんとSさんが、満面の笑顔でアイコンタクトを交わしていたのも象徴的なシーンだった。
繰り返すようだが、表現、ステージという化け物に身一つで飛び込み、死に物狂いで闘ってきたこの一年の彼らは本当にかっこよかった。その姿がどれだけ人智を超えた手の届かない存在に見えても、その原点に、悩み、怒り、焦り、傷つきながらも、言葉を尽くして仲間とわかり合い、そんな仲間を涙を流して見送ってきた心優しい少年たちが息づいていることを、『0年0組』を見てきた我々は知っている。そんな彼らの真心が、小川が海に流れ出し、領海を押し拡げていくように、わたしたちにも並々と注がれてゆくような、そんな公演だった。幕を1枚隔てた先のステージで"演じられる"からこそ、かえってわたしたちに開かれているような印象を受けたのが不思議な感覚だった。
『LATE SHOW』──楽曲の意味を編み直す
同様の印象を受けた、というより、それまでの楽曲のイメージが180度変わったと感じたのは、中盤に披露された『LATE SHOW』だった。この曲は音楽劇『秘密を持った少年たち』のライブパートで初めて披露された楽曲であり、劇中で彼らが演じた404 not foundのメンバーや、霞ヶ丘高校映画研究会の生徒たちを思わせる歌詞やセリフが随所に織り込まれている。がしかし、楽曲コメントにもあるように、我らがアヴちゃん先生が、劇中曲だからとただのキャラソンを作るわけがない*2。
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— 龍宮城 OFFICIAL / 0年0組 (@RYUGUJOofficial) 2024年3月14日
𝐄𝐏 "𝐃𝐄𝐄𝐏 𝐖𝐀𝐕𝐄”より
『𝐁𝐋𝐎𝐎𝐃𝐘 𝐋𝐔𝐋𝐋𝐀𝐁𝐘』
『𝐋𝐀𝐓𝐄 𝐒𝐇𝐎𝐖』
女王蜂 アヴちゃんコメント 到着@qb_avu
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Now on Streaminghttps://t.co/aU1v3mVOXI@qb_announce#龍宮城 #DEEPWAVE#秘密少年 pic.twitter.com/ldhPEcVhAI
メンバー全員がそれぞれ2人の役柄を纏って歌う音楽劇では、EDM調のノリの良いサウンドの楽曲であるにもかかわらず、日の下を追われ、夜行*3として夜の世界に身を隠して生きることを余儀なくされた404 not foundの、夜の学校という閉鎖空間で、なす術なく仲間と引き裂かれていく霞ヶ丘高校映画研究会の、未練とやるせなさが漂っていた。
今回のツアーでは、『JAPANESE PSYCHO』を歌い上げたKEIGOさんがその熱そのままに語り出すところからこの曲は始まる。この語りはわたしが聞いた限りでも公演ごとに内容が大幅に異なっていたため、台本があるわけではなくKEIGOさんがその瞬間瞬間に感じたことをそのまま言葉にぶつけているようであった(すごい)。朧げな記憶ではあるが、どの公演でも「努力は必ず無駄にはならない」「何かを始めるのに遅すぎることなんてない」といった、素直で前向きなメッセージの数々が込められていた。
その中でも特に印象的だったフレーズがある。
「ほんの少しの勇気があれば、龍宮城は隣を走り続けます」
この言葉は2月のFCライブ『JAPANESE PSYCHO』のMCでも聞いた(はず)。ツアーのコンセプトに留まらず、今のKEIGOさんの、龍宮城のアーティスト活動のポリシーであるのだろうか。観客にただの受け身な傍観者のままでいることを許さず、エンターテイメントの大海をともに泳いで楽しもうという、なんとも心ときめくいざないだ。ここにも、彼らの創り上げる世界に惚れ込んで、そこに没入するオーディエンスを必ず抱き留めんとする彼らの優しさが垣間見える。
そしてこの頼もしい誘いは、もちろん彼らのライブ空間でだけ有効なわけではなく、これからもありふれた日常を生き抜いていくお守りになる。
物語の中で虚しく散る、彼らへのレクイエムとして歌われた昨秋の音楽劇では、叶わぬ願いが虚しく散ってゆく悲痛さが、そのまま音になったように叫ばれた『いつかいつかいつしかいつも』。それらも、まさに今現実世界で逞しく生を更新し続けている龍宮城のメンバーが歌えばこんなにも強かで、本当の本当に『叶う気がして』くる。たらればではない彼らの覚悟が、血潮みなぎる熱い掌で背中を強く叩いてくれるかのように、今日を生き抜くための気力をわたしたちに与えてくれる。わたしたちの日々の隣に寄り添ってくれる。そんな眩しいほどにまっすぐな、龍宮城なりのエールソングとして、彼ら自身の手によって楽曲の持つ意味がどんどん編み直されてゆくのは、全員が1曲1曲に真剣に向き合い続けていることの何よりの証左だと思う。
どこを探しても見つからないよな
ぼくらの映画が見たいから!
人生は映画や演劇などの演じることに喩えられることが多い。公演全体の演劇のような演出も相まって、「自分たちはこれからもこうして生きていくのだ」という決意表明の想いが、これまで以上に強く込められた公演だったのではないだろうかと感じる。ありきたりな喩えかもしれないけど、それが一切薄っぺらく見えないのは、彼らが1年かけて磨き上げてきた豊かな表現力の賜物以外のなにものでもないし、感情の鮮度を保ったままわたしの元まで素直に届くのは、彼らがどこまでもひたむきで誠実で、味付けの濃いプロデュースにかき消されない強固な意志の力で能動的に表現活動に取り組んでいるだからだ。そしてその決意がこんなにもワクワクする予感に満ち溢れていることがとても嬉しくて、これからも末永く彼らが生み出す世界とともに生きていきたいと心の底から思う。年度の切り替わる節目、そしてデビュー2年目を控えた今こそ、観る価値のある公演であったと強く感じる。
*1:空中(水中)を浮遊するKENTさんや、ソロアーティスト写真に使われているパイプ椅子など、MV、アートワークにも『RONDO』のセルフオマージュと思われるモチーフが散りばめられている
*2:アヴちゃん「(前略)アニメのタイアップが続いているアーティストっているじゃないですか。その一組として見られることに対して覚悟は決まってるけど、私たちは中身がパンパンに詰まっていて、アニメから一歩足が出ていざライヴとなっても、とても強い曲を書いてきた自負があるんです。」
女王蜂が“転生”を繰り返す意義、秘めた弐号機根性――TVアニメ『アンデッドアンラック』OPテーマ「01」と溜め込んだ熱を放出した「02」を語る – リスアニ! – アニソン・アニメ音楽のポータルサイト
*3:劇中に登場する、人間を襲い吸血するヴァンパイアのような存在。不老長命だが日光に当たると灰になって死ぬ。
「大人」になる
「ジャニーズJr.公式エンタメサイト」と銘打たれたISLAND TVというサイトには、所属するジャニーズJr.たちのプロフィールが確認できるページが存在する。昨年初頭、サイト自体の大幅リニューアルに伴い、全員のアーティスト写真やプロフィール文面も一新され話題になった。
プロフィールの項目には「将来の夢」欄が設けられており、「CDデビューすること」「ファンの皆さんを幸せにすること」など、アイドルたちの大小様々な夢がめいめいに記載されている。矢花くんの今の「将来の夢」欄には「日本を代表するベーシスト・クリエーターになる」とある。彼にしか書けない素敵な夢だと、"今は"思っている。
サイトのリニューアル前、彼はここに「『大人』になる。」と記載していた。わたしはこれがどうにも彼らしくて好きで、リニューアル時はこれが消えてしまったのが悲しく、同時にそこはかとない不安を覚えた。

当時のスクショ
彼の創作の源泉にある、「己を解放し、既成概念を打ち壊したい」という思想。パフォーマンスの建前だけではどうにも割り切れない、癇癪のようなリミッターの外れた咆哮。彼の敬愛するロックンロールの精神にも通ずるこの欲求、渇望、衝動は古くから「少年たちの、前時代的な『大人』に対する反骨精神」という形で形容されてきた。それが「『大人』になる」ことで失われてしまうのではないか、と恐れていた。
鉤括弧で括られた『大人』。一般名詞につけられる鉤括弧には、強調のほかに皮肉の意味も汲み取れる。これを掲載していた2021年以前、たしかに20歳という、世間的に「大人になる」節目を跨いでいた矢花くんだが、その時彼は『大人』ではなかったのだろうか。この「『大人』になる。」という夢を取り下げて新たにアーティストとして順当な夢を掲げた今の彼は、果たして『大人』になれたのだろうか。
少し話は変わって、『アイドリッシュセブン』というアイドルプロジェクトがある。2015年にリリースされたアプリゲームを中心に、アニメ、ライブ、各種コラボ等々の展開を重ね8周年を控えた今年、ライブ映画が公開された。本当に素晴らしい出来なのでアイドル全般が好きな人は是非一度観てほしい。
もちろん全編素晴らしく、語るべきことが目白押しなのだが、ここでは、劇中で披露されたTRIGGERというグループの新曲『BEAUTIFUL PRAYER』に焦点を当てたい。
TRIGGERはプロジェクト発足時から、メイングループのIDOLiSH7と対をなすライバルグループとして活動してきた。明るくかわいくわちゃわちゃ、逆境でもひたむきに頑張る姿を見せることで人々の心を掴んできたIDOLiSH7とは対照的に、大手事務所のプロデュースで順風満帆にデビューを飾り、ショーマンとして裏の努力や苦悩は見せず、ただファンのためにステージの上でのエンターテイメントを追求することに身を捧げる、プロ意識の極めて高いグループだ。
そんな彼らもこれまで常に完璧ではいられなかった。スキャンダルを捏造され、一時事務所を辞める事態になるまで追い込まれた。テレビの仕事を干され、精力的にライブハウスを駆け巡った。それでも自分たちを信じてついてきてくれるファンを思って、雨の中涙を流した。そのたびに、高潔な誇りやプライドを胸に抱いたまま、ダイヤモンドのような「つくりもの」としての無機質な硬度だけではない、血肉の通ったしなやかな人間らしい強さを獲得してきた、TRIGGERとはそんなグループだといえるだろう。
これまでもその波瀾万丈なキャリアに合わせて、さまざまな楽曲を発表してきたTRIGGERだが、『BEAUTIFUL PRAYER』はノリの良いディスコファンク調のダンスナンバーで、強いメッセージ性が前面に出た他のグループの新曲群の中でも一線を画す。クラップやコールでライブ本編の中でも特に盛り上がるシーンであり、ファンの間でも公開時から話題と人気を集めている。オシャレなサウンドに合わせシックな黒の衣装で一糸乱れぬダンスを披露する3人の姿は、ジャニーズを齧った経験のある人間なら少年隊などを彷彿とさせるかもしれない。
しかしこの曲もまた、ただサウンドとしてノリ良く楽しいだけではない、力強く生きるためのメッセージを歌った曲なのである。
以下は作詞曲を担当したShinnosuke氏が、ムビナナ公開当時に個人Twitterに寄せた文章である。
TRIGGER「BEAUTIFUL PRAYER」を愛してくださっている皆様へ。
— Shinnosuke (@Shinnosuke_Syn) 2023年5月28日
長文になってしまったのでテキストにして添付しました。
*1人の作家の戯言です。#BEAUTIFULPRAYER #美プレ #ムビナナ pic.twitter.com/tm9rnsk8kZ
大きな話だと地球規模での災害や戦争などから、はたまた近所で起きた小さい事件や事故など
色々含めて悲しいニュースや辛い話に胸を痛めてきたのも事実ですし、僕の身近でも大切な方が亡くなったりもしたので生きる事の意味や難しさ、逆に「幸せとは?」とか色々日々思う事も本当に沢山あって。
(中略)
上記のような「生きることについて」だったり、もっと「地球を俯瞰して見た時」に考えるような事など...
結果的にそれって至極当たり前の事にしかならなくなってきちゃうんですけど。
まぁそんなような、人としての根本的な想いというか考えというか意志みたいな物をどうにか歌詞に落とし込みたいな、と思って書いたんです。
(中略)生きてる以上、大人になれば色々と痛みを知らないとダメだと思うんです。
物理的な怪我とか病気とかって意味ではなくて。
知らなくて良い(=済む)のは子供の時だけで良くて。
なので、先述のようにこの曲って聴いてるだけだと楽しい・カッコイイ曲だと思うんですが、実は結構「悲しさ」や「愛い」を歌っている曲でもあるんです。
(中略)
あと、楽曲タイトル「PRAYER」の意味、「L」ではなくて「R」 なので「祈り」という意味なんですが。
『美しい祈り』
「PRAYER」って一つの単話でもう一つの意味もあって。
発音が少しだけ変わるんですけど、「祈る人」という意味にもなるんですね。
なのでTRIGGER の3人自体の事を指しているタイトルでもあって。
Uhhh wanna B together
不条理な毎日を
少しでも誰かが笑顔でいられるように
祈ろう Uhh Yeah
TRIGGER『BEAUTIFUL PRAYER』歌詞より抜粋
アイドルの歌や言葉の数々は祈りだ。祈りとは、人が人のために行うものであり、祈り手が祈られる対象と同じ人間であるからこそ価値あるものだ。アイドルが我々と同じようにありふれたことで泣き、笑い、人として生きているからこそ、彼らの祈りは切実だ。
アイドルたちにドラマチックなヒストリーがあるように、同じ時空、同じ世界にわたしの生活、人生がある。アイドリッシュセブンを好きでい続けたこの8年近くの間に、わたしは引きこもりになり、高校を辞め、バイトを始め、高卒認定試験を受けて受験勉強をし、大学に入学し卒業し、就職して社会人になった。わたし自身も、今やすっかり『大人』になった。
『大人』になるにつれて社会を広く見られるようになって、ただアイドルが与えてくれるエンタメを楽しみながらのんびりと生きていくだけでも、否が応でも社会や政治やジェンダーについて考えざるを得ないことを思い知った。いくらアイドルとはステージの上でのみ像を結ぶ虚構だと言い張っても、そのステージが建つ土壌が腐っていてはステージは崩れてしまう。崩れゆくステージの上のアイドルの"中の人"たちは、ステージもろとも腐った地面に叩きつけられて(比喩ではなく)死んでしまう。
巷では「嘘を貫くアイドルこそが完璧で究極」というような歌詞の曲が異常なほどバズっているが、アイドルを切実に応援した経験のある人ならそれがいかに持続不可能でままならないことかよく理解しているはずだろう(まあだからこそ、フィクションの物語から生み出されたこの曲に願望を託したいのかもしれないけど)。
アイドルを仕事としてやっていく人も、アイドルを応援する人も、もうそろそろ「アイドルとは嘘でつくりものだから」を免罪符に現実から目を背け続けるのは難しくなってきたんじゃないか。「彼らとわたしたちは住む世界が違うから」なんて、とてもじゃないけど言えなくなってきているんじゃないか。彼らもまた、我々と同じ社会の困難に道を阻まれ、歯を食いしばって、なんとかこの地獄のような現代日本を生き抜いている人間であることは、2020年に痛いほど思い知ったんじゃないのか。
アイドルも我々と同じように歳をとって、やがて命を終える。アイドリッシュセブンのアイドルたちは設定上、数字の上では歳をとらないが、全員がそれぞれに自らの問題に向き合い、精神的に大きく成熟していくさまが描かれる。現実のアイドルにはそんな明確な「物語」はないけど、皆日々将来への不安を抱えながら、己の感情とどうにか折り合いをつけつつ目の前の仕事に取り組んでいるはずだろう。アイドル業界という特殊な環境が生む固有の生きづらさはもちろん無視できないが、だからといってその環境下に置かれる人たちをむやみに神聖視、あるいは怪物視するのではなく、働く人間同士として、もっとありふれた共感で寄り添うことはできはしないか。
痛々しいほどの自我を開示してくれる矢花くんが愛おしく、それを愛おしく思う自分が恐ろしくてしょうがなかった。その反動から、流行りの歌のように煌びやかな嘘で武装して、本当の自分は見せないことを美学とするアイドルのことを羨ましく思ったり、自分が好きになってしまったアイドルがそうではなかったことに憤りをぶつけたりしてしまうこともあった。
自分が社会人になってようやく、事はそう簡単ではないことを思い知った。仕事における自分と本来の自分を完璧に切り離すということは、よほど自分を強く持てる人でないと本当に、本当に心が死んでしまう。かと言って誰彼構わず自分をひけらかすのもまた、どんどん自分が奪われてすり減っていくような感覚を覚える。わたしたち──アイドルも含めて人間全般は、揺らぐ水面を浮き沈みするように、つくられた自分と本来の自分を行き来しながら、少しでも楽に呼吸ができる場所を探し続けるしかないのだ。
きっと矢花くんは、己の全てをもって、それを体当たりで、リアルタイムで実践する様子を見せてくれていただけなのだ。野ウサギみたいに跳ね回るベースも、がなりながら歌うラブソングも、浮き沈みの激しいブログも、全部。
振り返れば
僕も色々な事を感じ、喜びや、幸せ
時に 苦しみ、立ち直りながら、今日ここまで来たような気がします
みなさんもきっと
本来の"欲望"を
学校や会社といった
"社会"で塗りつぶして、
"大人"になるにつれて
塗り重ねてきたと思います
それでも、繊細で
何度も割れてしまう表面を
上から塗って、
美しい自分であるフリをして、そうしていくうちに
本来の自分が自分で塗った殻から
出られなくなったり、
どうしたらいいかわからなくなる
人は何をしていても
人以上にも、人以下にもなれない
誰しも同じ生き物なんだと思います
だから、頑張らなくていいから
自分をこれからも生きていきましょう
そして、
殻の中の自分が
いつでも自由に外に出られるような
扉をつけてあげましょう
僕もそうしてみようと思っています
何事も全てを言って
所構わず吐き散らせばいいわけじゃないけどでも
そんな相手やそんな日があっても
あってもいいもんだなって思います
2023/05/31更新 Johnny's web「異担侍日報〜侍ふ。〜」水曜vol.109「独白」より抜粋
わたしはわたしのペースで、そして矢花くんは矢花くんのペースで、それぞれでゆっくり、自我と建前の折り合いを探してきた数年間だった。きっと矢花くんにとってわたしは物分かりのいい理想のファンではなかったし、わたしにとっても矢花くんはいつでも理想のアイドルではなかった。今でも矢花くんの言動で到底理解できないことは多々あるし、万一この怪文書を矢花くんが読むようなことがあれば、向こうも同じように思うことだろう。それでも、同じ時間に同じ世界を生きながら、共感よりももっと淡い、漠然とした次元で「そうだね、わかるよ」と思い合えることがひとつでもあるのなら、一番星だなんだと完全に突き放してしまうよりは、人と人として有機的な関係性に一歩近づけるんじゃないか。それはそれでひとつ、アイドルとファンの関係性としては相当祝福されたものになるんじゃないか。
矢花くんの制作した「Banana」について、わたしは昨年以下のように記した。
世界にも自分にもヤケになったりニヒルになったりせず、真正面から清濁併せ飲んだうえで正々堂々立ち向かってやろうという闘志のようなものが「Banana」からは迸っている。それも追い詰められて闘うしか道はない、というニュアンスではなくて、自ら迎え撃つ余裕すら感じられるポジティブな闘志。どんなに絶望的な状況においても飄々とした笑みを携え、どこまでも精緻に計算された"遊び心"を以って音を奏で、ステップを踏む様を、「アイドル」と呼ばずしてなんと呼ぶだろう。I Know.から丸2年をかけて見るからにしなやかに強くなった。今の矢花くんが眩しくてならない。
これは昨年9月に公開されたセルフカバー版*1のみを聴いた上で書いた文章だが、「Banana」はこの後も7 MEN 侍全員による演奏でサマステ、単独Zeppツアーと繰り返し披露され、今年はついに歌詞を乗せてリアレンジされた「B4N4N4」がサマパラで初披露となった。個人的には矢花くんのソロコーナー枠を借りたひと夏限りのプロジェクトだとばかり思い込んでいたが、7 MEN 侍的にはすっかりグループの持ち曲の認識だったようでとても嬉しい。
作者本人が「口当たりのいい狂気」「魂は捨てずにキャッチーな曲を作る挑戦」と形容するように、「Banana」は矢花くんが公開してきた楽曲の中ではずば抜けてメロディアスで盛り上がりやすい。「売れ線を狙った」というのも大いに理解できる。しかしこの理解はwoofer887──作曲家・矢花黎の軌跡を辿ってきたからこそ出てくるものであり、アイドルグループ・7 MEN 侍の楽曲としてライブで披露されることを加味すると、作曲者自身のエゴに端を発するであろう複雑さや異物感を無視できなくなってくる。
初披露となった22年のサマステは、7 MEN 侍としては珍しく、演出の多くをメンバー以外のスタッフに外注した公演であったそうだ。良くも悪くも"ジャニーズらしい"印象を受けるライブの中盤、赤黒い照明の中から原型を留めないほど歪んだベースを呼び声に始まる演奏は、驚異的なスピードで演奏スキルを磨いてきたメンバーであってもついていくのがやっとといったところだ。しかしこれもまた「全員が苦しみながら、狂いながらがむしゃらにやってる姿を演出する為にわざとしんどく作った」という矢花くんの思惑が反映されている。今にも転げ落ちてゆきそうなビート。止まるべき所で止まらない音。完全に原型を失ったメロディー。
ジャニーズJr.としてそれなりのキャリアと地位を築き、すっかり安定感の伴いつつあるパフォーマンスの中で、この曲だけが異質、異形だ。それは祈りと呼ぶには生々しく地に足のついた、紛れもなくこれまでと変わらない矢花くんの剥き出しの自己顕示欲そのものである。それがバンドパフォーマンスという逃げ場のない衆人環視の中で、メンバー5人を、7 MEN 侍を、果実の表皮を覆う黒斑のように、ひたひたと侵食していくようであった。
そして今年の夏、留まらぬ彼の欲望は彼らの"声"をも乗っ取った。3年前、同じステージの上で1人吐き連ねるように歌われた矢花くんの言葉たちは、今度は6人の声で、犯行声明のような力強さと不敵な訴求力を持って戻ってきた。何も変わっていない。矢花くんはずっと、世界を、人間を愛しているからこそ、己を投げつけるかのようにして語りかけている。
それに今では、抱き込むようにそれに付き合ってくれる仲間を5人も得た。矢花くんにとって7 MEN 侍とは、無茶苦茶な自己をどうにか秩序立てて世界と繋がるための殻でもあり、自由に息をするために顔を出す水面でもあるのかもしれない。『大人』になったって、こんなにも自由で傲慢なやり方で自分を解き放つことができる。何人たりとも、彼の中に轟く"何か"の息の根を完全に止めることはできない。そういう意味で、矢花くんと7 MEN 侍がともに歌い続けてくれることは、わたしにとって大いなる希望だ。
だからわたしも勝手に、2人といないあなたへのありふれた共感とともに、毎日を生きていく。これからも、一緒にそれぞれの世界を見つめて、一緒に『大人』になっていきましょう。
矢花くん、23歳のお誕生日おめでとうございます。
甘蕉は劇薬
矢花黎さんこの夏渾身の新曲「Banana」、皆さんもう聴かれましたか?ISLAND TVって会員登録不要無料コンテンツなのに相変わらずアクセスの悪さヤバいよね。オタク以外絶対知らんもん。この前坂本昌行さんすらYouTubeって言ってたよ。
前回の記事で書いた通り今夏のライブは不参加だったため現地で聴くことは叶わず、かと言って動画が上がった以降も初見をどのタイミングにしようか悩んで数日が経ってしまった。結局、今日こそは本当に精神がだめかもしれない、と思った通勤途中の地下鉄の中で、電車の走行音にも車内アナウンスにも負けないように最大音量にして聴いた。下手にかしこまって腰を据えて聴くよりは、ありふれた生活の中に境目なく音楽を紛れ込ませるくらいを、矢花くんなら望むのではないかとなんとなく思った。かつて「音楽とは我々の一番身近にある芸術だ」と語っていた彼の言葉を思い出した。奇しくもその日は水曜日だった。
2020年の夏に見た「I Know. - 7 MEN style -」の衝撃はおそらく忘れることはない。
ご本人曰く、この曲のコンセプトは「破壊的なグランジロック」であり、「"ロックとは自分を解放することじゃないか?"」という「"僕なりのロック"を表現するサウンドを意識し」て制作されたそう。上の動画はインストver.だが、ライブ公演で披露されたものは歌詞がついており、これまた「元々の歌詞だと少し攻撃的過ぎた部分があったので」「マイルドに書き直」されたのだとか。そんな歌詞には彼の持つ人間や社会に対するアイロニカルな眼差しが濃密に詰まっている。
この頃になってようやく納得が追いついてきたが、わたしはずっと勘違いをしていた。ひとつは、「現役音大生」の肩書きをものにする矢花くんならば、自身のすべてを音楽で語り尽くしてくれるであろうということ。もうひとつは、社会、慣習、アイデンティティ、その他自分にかかわるすべてに漠然と嫌気が差していて、そのすべてを破壊したくて叫びを上げているということ。そしてその点においてわたしと矢花くんは繋がっており、矢花くんはわたしの延長線上に存在するということ。
「ジャニーズでもここまでぶっ飛んだことやっていいんだ!」というカルチャーショックが大きかったことも影響し、I Know.には当時の矢花くんのすべてが込められているのだと思い込んでいた。だから、この曲に惚れ込み、この曲を解釈し続けることこそが、彼のファンを名乗る資格のようなもので、他の事象は枝葉に過ぎないとさえ思っていた。「現役音大生アイドル」という稀少な武器を持つような人であるなら、音楽を心から愛し、音楽にすべてを捧げ、凡人のように余計な御託を並べずに、自分の思想を全部音楽に乗せて、言葉以上に歪みの少ない純粋な形で表現することができる、そういう人であるに違いないと思っていた。でも、きっと彼は音楽家としてそこまで純粋ではない。純粋でいられない。
その「純粋でなさ」は、もちろん「ジャニーズアイドルなのにバンド」という今の彼の置かれた立場によるものでもあるし、彼の経歴にも表れているといえるかもしれない*1。しかしその「純粋でなさ」の核を成すものとして、彼の生来の性格に依拠するであろう、怪物的なまでの自意識の強さがあるような気がしてならないのだ。
彼が己を語るには、音楽だけでは足りないのだ。矢花黎というアイドルと、矢花黎という人間を形容するには、音楽という器は小さく儚く、純粋すぎるのだ。彼にはもっと具体的で、無秩序で、明け透けな言葉が必要で、無骨で無神経で、でも酷く怯えたように一つずつ置かれる言葉たちの跳ね返りで自分がズタズタに傷つきながらも、それでも言葉にせずには生きていかれない人なのだ、というのが、1年以上の間彼のブログと向き合ってきたりこなかったりして理解したことである。
もうひとつ、矢花くんの言葉を見聞きしていると、すごく世界を信用しているな……と感じることがある。I Know.ではあんなにも厭世的な、世の中をせせら笑っているような歌詞を書いていたのに、信じられないくらいストレートな言葉で自分の感情を言い表している時もあれば、肝心なところで含みを持たせて解釈を読み手に委ねてくる時もある。どちらの態度もその言葉の受け取り手のことを無条件に信用していないと出てこないように思う。だからこそファンから辛辣な反論がダイレクトに返ってくることもままあるし、それらもすべて真正面から受け止めて突き刺さってしまう。それでもまだ話すこと、書くことを諦めない。どれだけ不安定でも傷だらけでも、丸腰のままで彼の言葉は我々の前に姿を表す。母親しか拠り所を知らずすべてを預けてくる子どもみたいだ。
だから矢花くんはこの世界を愛し、世界からも愛されてここまで生きてきたのだなと思う。わたしは自分の生きている世界に対してもうそんな澄み切った眼差しは向けられなくなってしまったから、その点において、わたしと矢花くんは完全に違う人間なのだという事実を苦しいほどに突きつけられることになった。癒着した歪んだ信仰心を引き剥がすのに1年近く必要としてしまったけど、今はそんな矢花くんのことを素直に愛おしく素晴らしいことだと思えるようになったのでこれでよかったんだろう。
そうしてさまざまな矛盾を現在進行形で抱え、変容させながら、きっと彼は今日も音楽に向き合っている。こっちからすればやっぱり世界はめちゃくちゃだしクソったれだし地獄だし毎日気が狂いそうだし生きにくくて仕方なくて、向こうも少なからずそう思いながら歪に生きている自覚はあるようだけど、矢花くんはそれでも今の自分とそれを取り巻く世界を好きでもあるんだろうと思う。「Banana」間奏部分でゆるいフォルムと耳をつんざく人工的な不協和音で姿を現す電子楽器・オタマトーン。彼の内にあるそれらの鬱屈した混沌と、いかにも「アイドル」らしい外界に向けた愛嬌がないまぜになった、アイドルらしくてアイドルらしくない、人間臭くて人間離れした、どこにも属せない何かの象徴であるかのように感じられる。
世界にも自分にもヤケになったりニヒルになったりせず、真正面から清濁併せ飲んだうえで正々堂々立ち向かってやろうという闘志のようなものが「Banana」からは迸っている。それも追い詰められて闘うしか道はない、というニュアンスではなくて、自ら迎え撃つ余裕すら感じられるポジティブな闘志。どんなに絶望的な状況においても飄々とした笑みを携え、どこまでも精緻に計算された"遊び心"を以って音を奏で、ステップを踏む様を、「アイドル」と呼ばずしてなんと呼ぶだろう。I Know.から丸2年をかけて見るからにしなやかに強くなった。今の矢花くんが眩しくてならない。
正直グループの方向性・音楽性としてもトライアンドエラーの時期なんだなというのは強く感じていて、多くのファンから求められるジャニーズアイドルらしい振る舞いや"ジャニーズ"というブランド自体のプレッシャーとのバランスの取り方に苦心している様子は幾度となく目にしたけど、矢花くんのあくなき自己表現への欲求が何一つ死んでいないと今回で心の底から確信できたことが嬉しかったし、それがこんなにも強かでかっこいい形で昇華されるとは思わなかった。矢花くんは数ヶ月前にブログで「自分の伝えたいことを他者に届けるためにはそれなりの自己演出が必要」というような話をしていたけど(個人的には当時あまり腑に落ちなかったブログではあったんだけど笑)、今になってああここに繋がってたのかもしれないなぁと思ったり。
そういう最近の矢花くんの姿を見ていると、ああわたしも生きにくいなりに折り合いつけてなんとか人生を頑張っていかないといけない、と素直に奮い立たされるし、アイドルを好きでいることの醍醐味ってこういうことだったんだなと思う。形はどうあれアイドルに極力干渉したくないスタンスのわたしですが、矢花くんが矢花くんのまま"矢花黎"を知らしめるためにいつも死に物狂いでアイドルやってくれているだけで、励みになってるオタクがここに1人いるよ〜って言うのはフワッと伝わるといいかもと思う。
矢花くんが心ゆくまで自分を解放して、矢花くんの音を、声を、満足いくまで聴き入れてもらえる世界に早くたどり着けるといいな。そして願わくば、その時までわたしも矢花くんのいる世界の中にいて、それを聴き届けられるといいな。ひとまず初めての単独ライブ、本当に楽しみにしています。
わたしの葛藤
13日にライブに行く予定だったので、その感想を自担(便宜)の誕生日祝いブログと代えさせていただこうと思っていたのだが、自分がコロナにやられてしまい行けなくなったので、ライブも誕生日も全然関係ない話をします。エ〜ン、、、
「アイドルについて葛藤しながら考えてみた」という本を読みました。
期待して買ったけどそれを裏切らない本当にいい本だった〜……アイドルオタク当事者としてそうだよな〜と共感するところも、まったく知らないジャンルの実情について初めて知ってそうなんだ……となるところも多々あってどの章もぐいぐい読んでしまいました。
とはいえ、どの論考も「葛藤」の足がかりを呈示するもので、「葛藤」の終わりにたどり着く答えやヒントが書かれているわけではないので、やはり自分の「葛藤」は自分で言語化していくしかないな〜という気持ちもより強くなりました。
ちょうどこの本を読み進めていた今月初頭、好きなアイドルグループのメンバーの熱愛スキャンダルが発覚しました。タイムリーなので、というのも不謹慎な話ですが、アイドルに課せられた恋愛規範を基軸として、自分のオタク当事者としてのアイドルとの向き合い方みたいなものを少し考えたので、この機会に書き起こしておこうと思います。
好きなアイドルが「燃えた」
あまり詳しく解説するのも蒸し返すようでアレですが、好きなアイドルグループのメンバーは、どうやら仕事を通じて知り合った2人の女性と関係を持っており、そのうちの1人と近距離で屋外にいるところを週刊誌に撮られてしまった。また、週刊誌記事では、おそらく彼らのプライベートなSNSアカウントに掲載されていたのであろう写真なども「知人提供」として掲載されていた。
報道を見た瞬間は「ついにきたか」という気持ち(もちろん好きなアイドルには誰もこんな目には遭ってほしくなかったが、出るとしたら業界内外問わず人との関わりが多そうな彼が可能性として高いんじゃないかな……とはうっすらと思っていた)でしたが、翌日からは沸々と彼に対して怒りが沸いてきて、その次の日から今まではずっと漠然と悲しい気持ちを持て余しています。
わたしが彼に対する怒りの感情を持ったのは、おもに「ライブ公演を控えている身で、しかも前回公演では自身の体調不良で公演期間の大部分が中止になった経験があるにもかかわらず、感染対策も徹底されていなさそうな状態で、人と外を出歩いているのはどうなんだ」という点に限ってである。わたしは彼に恋人がいることも、その関係がいわゆる「二股」などのように世間的には好ましく思われないような形態であることも、それが週刊誌を通じて我々オタクに知られてしまったことも、わたしは一切咎める気にならない。
案の定というか、インターネットにざっと目を通していた限りでは、上記のような恋愛関係にまつわる点について、「デビューを目指す若手アイドルであるならば、(異性の)恋人を作っている場合ではない」「恋人がいるのは構わないが、二股はアイドルとして印象がよくないのですべきではない」「恋人がいたとしても、やはりアイドルとして印象がよくないので公にするべきではない、公になる可能性が少しでもある行動は慎むべき」という価値観を、言及するまでもない絶対的な前提として、厳しい言葉で批判が噴出していた。所属事務所が良くも悪くも伝統や慣例を重んじる歴史ある超大手であるためになおさら、「恋愛禁止」などの暗黙のルールが権威を握っているのをひしひしと肌で感じている。以下、わたしが見かけたスキャンダルが出たアイドルへの非難として使われる常套句にできるだけ丁寧に抵抗したい。
アイドルが「燃えた」のは本当にアイドルのせいか?
アイドルに課せられている"異性愛主義を前提とした"「恋愛禁止」システムについては、「アイドルについて葛藤〜」の中でも複数の著者が言及していました。しかしながら、このシステムを決定的に定義づけることは、どの章でもなされていません。それでも、界隈内での暗黙的了解として、「アイドルに異性の恋人がいるべきではない」という風潮が未だ根強く存在しているのは、少しでもアイドルに触れたことのある人間なら感じられることかと思います。先日NHKで放送されていたドラマ「アイドル」は戦時下に活躍したアイドルについて描いたものでしたが、ここでも恋愛禁止ルールについては「この頃からあるにはあった」という描写のみで、いつから、どのような理由で存在していたかは語られていませんでした。
「アイドルについて葛藤〜」序章で言及されているとおり、「恋愛禁止」ルールとは「労働者個人のプライベートに立ち入って人権を侵害する」ものであるとわたしも考えます。我々がそうであるように、アイドルがプライベートで誰と、何人の人と、どのように関係を結ぶのかは自由であり、それを公表する/しないも当人の自由です。
それから「彼女がいることは構わないが、二股は人としてよくない」という言説について。わたしたちは、他者と他者の関係性を、部外者である自分の物差しで「よいもの」と「よくないもの」とに明確に区別しジャッジすることはできない。わたしもあまり詳しくないので「ポリアモリー」などでググっていただくことをお勧めするが、複数の交際相手が存在すること自体はまったく悪ではなく、当人同士で合意が得られているのであれば、十分に「よい」かたちで成立しうる関係性といえる。まあ今回のケースはちょっとそうは見えないような気もしなくはないですが、そうだったとしてもそれは当事者同士で必要に応じて話をつければ済むことであり、どちらにせよファンである我々が口を出す権限はない。
「危機管理能力がない」、あるいは「プロ意識がない」。これもよく聞かれるフレーズである。ここで言われる「危機管理能力」とは何か。おそらく「スキャンダルがすっぱ抜かれる」という「危機」を起こさないよう己の生活を「管理」する「能力」を指すのだろう。その「危機管理能力」は本当にアイドルにとって必要不可欠なものなのだろうか?今回の事態は彼の「危機管理能力」不足が招いたものなのだろうか?
「危機管理能力」の実践例として「(特に恋愛などの)スキャンダルに発展しやすい自分のプライベートな部分を公に見せない」「(特に恋愛などの)スキャンダルとして話題にされそうな物事にそもそもかかわらない、ないしはスキャンダルに繋がる可能性がある人間関係を持たない」などが挙げられる。
前者について、彼がプライベートな要素を切り売りするコンテンツを少なからず見てきた身としては、彼がこれを実践できていなかったとはまったく思わない。少なくとも、公式で発信される情報を見ている限りでは、彼はアイドルとして開示できる自分のプライベートをかなり自覚的に線引きし、コンテンツとして提供してくれるアイドルだと感じているし、その線引きの仕方で不快感を覚えたこともなかった。ではなぜ今回こんなことになったかといえば、スクープ欲しさにアイドルのプライベートを追いかけ回す週刊誌が悪いとしか言いようがない。「芸能人なんだから週刊誌に追われるなんて当たり前、撮られてネタになるような行動をアイドル側が慎むべき」という批判も根強いが、それこそプライバシーの侵害だと思う。
この批判が想定されて行われるのがおそらく後者の実践になるのだろうが、アイドルのプライバシー侵害のみならず「アイドルは業界内外問わずさまざまなものに触れ、多くの人と出会い、その経験を表現活動に生かしていってほしい」というわたし個人の思想としても食い合わせが悪いので、あまり必要だとは思わない。「アイドルについて葛藤〜」第8章でも、表舞台に立つ者が「普通」の「生活」を犠牲にすることについて言及されているように、好きなアイドルに本人の望む限り長く活動を続けてもらうために、私生活のすべてをアイドル活動のために捧げすぎないでほしい。アイドルの私生活をとりまく人間関係にも、アイドルだからという理由で制約が設けられることはあってはならないと思っている。仕事のために大学の友人と1人も連絡先を交換しなかったアイドルや、旧来の友人とも親を介してしか連絡を取らないアイドルの話を聞いたことがあるが、それを「プロ意識が高くてすごい」と手放しに称賛してよいものだろうか、と今でも考えている。
また、今回のケースもそうだったが、週刊誌のスクープ記事に掲載される情報は「知人提供」とされるものが多い。これに対して「人を見る目がない、そんな信用ならない人と付き合いがあることに失望する」というような意見も散見されたが、アイドルでなくとも、人間はそんな簡単に「絶対に信用できる関係」を築けるものだろうか?たとえば知人の手によって本当に週刊誌に情報が売られてしまったとして、その知人との関係性が「信用ならないものであった」とはその時初めて言える、結果論でしかないのではないか?本人も信用できる友人だと思い込んでた人に裏切られて傷ついているのだとしたら?想像でしかないが、それでも「お前の見る目がなかった」と批判されるべきなんだろうか。
彼に対するファンからの反応を眺めていると、どうにも複数の論点が絡まったまま、「アイドルにスキャンダルが出ることはよくないことだから」というところで思考が止まったまま批判がなされているような気がした。異性愛主義的規範が暗黙の大前提のように話が進んでいくことに違和感を覚えて、でも自分と同じような意見をほぼ見かけることがなかったので、こうして長々と言葉にしている。別にだからといってオタクに何かを啓蒙してやろうというつもりもないしわたしにそんな権限はありません。
繰り返しになりますが、わたしが彼の行動それ自体で明確に批判されるべきだと考えるのは「ライブを控えた身で対策もままなっていないまま人と外でフラフラしていたこと」この一点のみです。それ以外のアイドルのプライベートに関しては、どこまでファンが踏み込んでいいのか、我々が基準としている物差しの方が狂ってはいないか、もっと問題を細分化して、前提の前提に立ち帰って、それぞれに慎重に検討が必要なんじゃないでしょうか。
わたしはやっぱり今でも彼のステージでの表現はどれもとても素晴らしいことを知っているし、ライブ演出にも携わってその知識や才能を発揮しているのも知っているし、自分の人生を冷静に検討してそれでもなお学業とアイドルの両立という過酷な道を選んだ胆力のある人だということも知っているし、どんな仕事にも一つ一つ真摯に向き合って結果を残してきたことを知っているし、ちょっと変だけどおもしろい人となりをしていることを知っている。彼に落ち度が一切なかった、とは言い切れないにせよ、彼の今までのキャリアや人格を全否定するような意見を目にするのはちょっとつらかった。
それはそれとしてオタクへ
とまあわたしなりになるだけ客観的に理論立てて意見を述べてきたものの、今回は「自担(便宜)ではなかった」から、ある程度冷静さを失わずに思考することができていたところはあるように思う。自担(便宜)だったらたぶん最低でも1週間は寝込む。
でもだからこそ、自分もいっとう好きなアイドルに重たい感情を差し向けている以上、「好きなアイドルに恋人がいてシンプルにつらい」というオタクの気持ちを、正しさだけで叩き斬るようなこともしたくないなぁ、と思う。
自分が知らなかっただけでたしかに存在した事実を受け入れられなくて、心が分離と癒着を繰り返してめちゃくちゃになって、好きだった相手本人を憎んでしまいたくなる気持ちにも、そうだね、って言いたい。アンチではないそういうマイナスの感情はただ1人の自分の「好きなアイドル」に真摯に向き合っているからこそ出てくるものだと思うから。でもそれを「アイドルが恋愛禁止なんて当たり前だから」とか、「事務所の慣例だから」とか、「デビューが遠のく」とか、まやかしの正当性で武装してアイドルを殴らないでほしい。そんな取ってつけた理由がなくても「自担に女いるの嫌だ!!!!!!!!!!!」ってみんなもっと素直に言えたらいいのに。思うだけなら自由なんだし。思うだけならね。
だし、アイドルのプライベートを尊重することと、「それはそれとして自担に恋人がいるのは嫌だ」という感情は両立するものだとわたしは思ってます。両立させていきたい。
それはそれとして自担(便宜)へ
ところでずっと自担(便宜)と呼んでいるのは「わたしは彼の何も担当していないし彼もまたわたしの何も担当してもらっていないので自担とは呼べないが、これに代わるいい代名詞が思い当たらないので便宜上使用している」の意です
ライブの感想以外にも誕生日以前にいろいろ書き溜めていた文章があったのであげようと思っていたのですが、その間にも思想がかなり変わってきたのでやめました。
今思えば荒唐無稽な話ではありますが、わたしは自担(便宜)のことを自分(と同じ)だ!と思っていたことが度々あり、自担(便宜)のことを自分が実現し得なかった可能性を具現化してくれる自己の延長のような存在に感じていました。
「アイドルについて葛藤〜」やこれまでの「恋愛禁止」ルールに近い部分でいえば、異性愛主義的規範にも則れず、かと言って勉学にも仕事にも創作的趣味にも没入できなかった自分にとって、メンバーと家族とも友人とも恋人とも違う唯一無二の強い結びつきを築きながら、人生を賭けて自己実現に全力投球している(ように見える)自担(便宜)が羨ましくもあり、救いでもあり、これからも永遠にそうあってほしいと願ってしまいます。しかし同時に、オタク人生において数多の恋愛スキャンダルと異性愛主義思想に長年曝され、心が摩耗しきってしまった経験から「いやまあどうせ彼女くらいおるやろ」と思っていることもまた事実であります。相反する感情のどちらもが、最終的には「恋愛禁止」ルールの強化に加担してしまっているのではないかと逡巡してしまいます。
わたしは最悪のオタクなので、そのままならなさやわからなさ(こちらがままならない、わかりあえないという思いすら抱くことを許さず、無邪気に相互理解を求めているような言動も含めて)を、自担(便宜)本人に対する怒りとして表出してしまうこともありました。それ以前に書き溜めていた文章は、その怒りの感情が鎮まってくるにつれ、自担(便宜)に向けている感情や個人的解釈を多少なりとも筋の通った形で言語化することを試みていたものでしたが、やはり自担(便宜)のことはよくわからないな、と最近また改めて、諦念ではなくよりポジティブに思うようになりました。それでもやっぱり自担(便宜)のことが好きです。そつがなく物腰柔らかな痩躯からは想像だにしない強大な、「己の表現を見て(聴いて)ほしい、己の話を聞いてほしい」の感情が迸る姿を可能な限り見ていたいと思う。わからないなりに。
自担(便宜)がアイドルをやっている姿を見て、それがうまくやれている時も、ちょっとうまくいかなかったんだろうなという時も見てきて、ああ自分もこのくそったれた世界でなんとか折り合いつけてやっていこうって思わされた経験があるからこそ、アイドルがうまくいかずに苦しんでいるその原因が社会やシステムにあるのだとしたら、最低限それには怒って抵抗していきたいし、もっと根本的な自己意識に苦しんでいて、その様子をオタクを信頼して開示してくれるのなら、理解することは不可能だとしても、そうだね、しんどいねって、邪推を挟まず素直に受け止められるくらいにはなりたい。

