コピー用紙

なにも知りません

わたしの葛藤

13日にライブに行く予定だったので、その感想を自担(便宜)の誕生日祝いブログと代えさせていただこうと思っていたのだが、自分がコロナにやられてしまい行けなくなったので、ライブも誕生日も全然関係ない話をします。エ〜ン、、、

 


「アイドルについて葛藤しながら考えてみた」という本を読みました。

 

 


期待して買ったけどそれを裏切らない本当にいい本だった〜……アイドルオタク当事者としてそうだよな〜と共感するところも、まったく知らないジャンルの実情について初めて知ってそうなんだ……となるところも多々あってどの章もぐいぐい読んでしまいました。

とはいえ、どの論考も「葛藤」の足がかりを呈示するもので、「葛藤」の終わりにたどり着く答えやヒントが書かれているわけではないので、やはり自分の「葛藤」は自分で言語化していくしかないな〜という気持ちもより強くなりました。

ちょうどこの本を読み進めていた今月初頭、好きなアイドルグループのメンバーの熱愛スキャンダルが発覚しました。タイムリーなので、というのも不謹慎な話ですが、アイドルに課せられた恋愛規範を基軸として、自分のオタク当事者としてのアイドルとの向き合い方みたいなものを少し考えたので、この機会に書き起こしておこうと思います。

 


好きなアイドルが「燃えた」

あまり詳しく解説するのも蒸し返すようでアレですが、好きなアイドルグループのメンバーは、どうやら仕事を通じて知り合った2人の女性と関係を持っており、そのうちの1人と近距離で屋外にいるところを週刊誌に撮られてしまった。また、週刊誌記事では、おそらく彼らのプライベートなSNSアカウントに掲載されていたのであろう写真なども「知人提供」として掲載されていた。

報道を見た瞬間は「ついにきたか」という気持ち(もちろん好きなアイドルには誰もこんな目には遭ってほしくなかったが、出るとしたら業界内外問わず人との関わりが多そうな彼が可能性として高いんじゃないかな……とはうっすらと思っていた)でしたが、翌日からは沸々と彼に対して怒りが沸いてきて、その次の日から今まではずっと漠然と悲しい気持ちを持て余しています。

わたしが彼に対する怒りの感情を持ったのは、おもに「ライブ公演を控えている身で、しかも前回公演では自身の体調不良で公演期間の大部分が中止になった経験があるにもかかわらず、感染対策も徹底されていなさそうな状態で、人と外を出歩いているのはどうなんだ」という点に限ってである。わたしは彼に恋人がいることも、その関係がいわゆる「二股」などのように世間的には好ましく思われないような形態であることも、それが週刊誌を通じて我々オタクに知られてしまったことも、わたしは一切咎める気にならない。

案の定というか、インターネットにざっと目を通していた限りでは、上記のような恋愛関係にまつわる点について、「デビューを目指す若手アイドルであるならば、(異性の)恋人を作っている場合ではない」「恋人がいるのは構わないが、二股はアイドルとして印象がよくないのですべきではない」「恋人がいたとしても、やはりアイドルとして印象がよくないので公にするべきではない、公になる可能性が少しでもある行動は慎むべき」という価値観を、言及するまでもない絶対的な前提として、厳しい言葉で批判が噴出していた。所属事務所が良くも悪くも伝統や慣例を重んじる歴史ある超大手であるためになおさら、「恋愛禁止」などの暗黙のルールが権威を握っているのをひしひしと肌で感じている。以下、わたしが見かけたスキャンダルが出たアイドルへの非難として使われる常套句にできるだけ丁寧に抵抗したい。

 


アイドルが「燃えた」のは本当にアイドルのせいか?

アイドルに課せられている"異性愛主義を前提とした"「恋愛禁止」システムについては、「アイドルについて葛藤〜」の中でも複数の著者が言及していました。しかしながら、このシステムを決定的に定義づけることは、どの章でもなされていません。それでも、界隈内での暗黙的了解として、「アイドルに異性の恋人がいるべきではない」という風潮が未だ根強く存在しているのは、少しでもアイドルに触れたことのある人間なら感じられることかと思います。先日NHKで放送されていたドラマ「アイドル」は戦時下に活躍したアイドルについて描いたものでしたが、ここでも恋愛禁止ルールについては「この頃からあるにはあった」という描写のみで、いつから、どのような理由で存在していたかは語られていませんでした。

「アイドルについて葛藤〜」序章で言及されているとおり、「恋愛禁止」ルールとは「労働者個人のプライベートに立ち入って人権を侵害する」ものであるとわたしも考えます。我々がそうであるように、アイドルがプライベートで誰と、何人の人と、どのように関係を結ぶのかは自由であり、それを公表する/しないも当人の自由です。

それから「彼女がいることは構わないが、二股は人としてよくない」という言説について。わたしたちは、他者と他者の関係性を、部外者である自分の物差しで「よいもの」と「よくないもの」とに明確に区別しジャッジすることはできない。わたしもあまり詳しくないので「ポリアモリー」などでググっていただくことをお勧めするが、複数の交際相手が存在すること自体はまったく悪ではなく、当人同士で合意が得られているのであれば、十分に「よい」かたちで成立しうる関係性といえる。まあ今回のケースはちょっとそうは見えないような気もしなくはないですが、そうだったとしてもそれは当事者同士で必要に応じて話をつければ済むことであり、どちらにせよファンである我々が口を出す権限はない。

「危機管理能力がない」、あるいは「プロ意識がない」。これもよく聞かれるフレーズである。ここで言われる「危機管理能力」とは何か。おそらく「スキャンダルがすっぱ抜かれる」という「危機」を起こさないよう己の生活を「管理」する「能力」を指すのだろう。その「危機管理能力」は本当にアイドルにとって必要不可欠なものなのだろうか?今回の事態は彼の「危機管理能力」不足が招いたものなのだろうか?

「危機管理能力」の実践例として「(特に恋愛などの)スキャンダルに発展しやすい自分のプライベートな部分を公に見せない」「(特に恋愛などの)スキャンダルとして話題にされそうな物事にそもそもかかわらない、ないしはスキャンダルに繋がる可能性がある人間関係を持たない」などが挙げられる。

前者について、彼がプライベートな要素を切り売りするコンテンツを少なからず見てきた身としては、彼がこれを実践できていなかったとはまったく思わない。少なくとも、公式で発信される情報を見ている限りでは、彼はアイドルとして開示できる自分のプライベートをかなり自覚的に線引きし、コンテンツとして提供してくれるアイドルだと感じているし、その線引きの仕方で不快感を覚えたこともなかった。ではなぜ今回こんなことになったかといえば、スクープ欲しさにアイドルのプライベートを追いかけ回す週刊誌が悪いとしか言いようがない。「芸能人なんだから週刊誌に追われるなんて当たり前、撮られてネタになるような行動をアイドル側が慎むべき」という批判も根強いが、それこそプライバシーの侵害だと思う。

この批判が想定されて行われるのがおそらく後者の実践になるのだろうが、アイドルのプライバシー侵害のみならず「アイドルは業界内外問わずさまざまなものに触れ、多くの人と出会い、その経験を表現活動に生かしていってほしい」というわたし個人の思想としても食い合わせが悪いので、あまり必要だとは思わない。「アイドルについて葛藤〜」第8章でも、表舞台に立つ者が「普通」の「生活」を犠牲にすることについて言及されているように、好きなアイドルに本人の望む限り長く活動を続けてもらうために、私生活のすべてをアイドル活動のために捧げすぎないでほしい。アイドルの私生活をとりまく人間関係にも、アイドルだからという理由で制約が設けられることはあってはならないと思っている。仕事のために大学の友人と1人も連絡先を交換しなかったアイドルや、旧来の友人とも親を介してしか連絡を取らないアイドルの話を聞いたことがあるが、それを「プロ意識が高くてすごい」と手放しに称賛してよいものだろうか、と今でも考えている。

また、今回のケースもそうだったが、週刊誌のスクープ記事に掲載される情報は「知人提供」とされるものが多い。これに対して「人を見る目がない、そんな信用ならない人と付き合いがあることに失望する」というような意見も散見されたが、アイドルでなくとも、人間はそんな簡単に「絶対に信用できる関係」を築けるものだろうか?たとえば知人の手によって本当に週刊誌に情報が売られてしまったとして、その知人との関係性が「信用ならないものであった」とはその時初めて言える、結果論でしかないのではないか?本人も信用できる友人だと思い込んでた人に裏切られて傷ついているのだとしたら?想像でしかないが、それでも「お前の見る目がなかった」と批判されるべきなんだろうか。

彼に対するファンからの反応を眺めていると、どうにも複数の論点が絡まったまま、「アイドルにスキャンダルが出ることはよくないことだから」というところで思考が止まったまま批判がなされているような気がした。異性愛主義的規範が暗黙の大前提のように話が進んでいくことに違和感を覚えて、でも自分と同じような意見をほぼ見かけることがなかったので、こうして長々と言葉にしている。別にだからといってオタクに何かを啓蒙してやろうというつもりもないしわたしにそんな権限はありません。

繰り返しになりますが、わたしが彼の行動それ自体で明確に批判されるべきだと考えるのは「ライブを控えた身で対策もままなっていないまま人と外でフラフラしていたこと」この一点のみです。それ以外のアイドルのプライベートに関しては、どこまでファンが踏み込んでいいのか、我々が基準としている物差しの方が狂ってはいないか、もっと問題を細分化して、前提の前提に立ち帰って、それぞれに慎重に検討が必要なんじゃないでしょうか。

わたしはやっぱり今でも彼のステージでの表現はどれもとても素晴らしいことを知っているし、ライブ演出にも携わってその知識や才能を発揮しているのも知っているし、自分の人生を冷静に検討してそれでもなお学業とアイドルの両立という過酷な道を選んだ胆力のある人だということも知っているし、どんな仕事にも一つ一つ真摯に向き合って結果を残してきたことを知っているし、ちょっと変だけどおもしろい人となりをしていることを知っている。彼に落ち度が一切なかった、とは言い切れないにせよ、彼の今までのキャリアや人格を全否定するような意見を目にするのはちょっとつらかった。

 


それはそれとしてオタクへ

とまあわたしなりになるだけ客観的に理論立てて意見を述べてきたものの、今回は「自担(便宜)ではなかった」から、ある程度冷静さを失わずに思考することができていたところはあるように思う。自担(便宜)だったらたぶん最低でも1週間は寝込む。

でもだからこそ、自分もいっとう好きなアイドルに重たい感情を差し向けている以上、「好きなアイドルに恋人がいてシンプルにつらい」というオタクの気持ちを、正しさだけで叩き斬るようなこともしたくないなぁ、と思う。

自分が知らなかっただけでたしかに存在した事実を受け入れられなくて、心が分離と癒着を繰り返してめちゃくちゃになって、好きだった相手本人を憎んでしまいたくなる気持ちにも、そうだね、って言いたい。アンチではないそういうマイナスの感情はただ1人の自分の「好きなアイドル」に真摯に向き合っているからこそ出てくるものだと思うから。でもそれを「アイドルが恋愛禁止なんて当たり前だから」とか、「事務所の慣例だから」とか、「デビューが遠のく」とか、まやかしの正当性で武装してアイドルを殴らないでほしい。そんな取ってつけた理由がなくても「自担に女いるの嫌だ!!!!!!!!!!!」ってみんなもっと素直に言えたらいいのに。思うだけなら自由なんだし。思うだけならね。

だし、アイドルのプライベートを尊重することと、「それはそれとして自担に恋人がいるのは嫌だ」という感情は両立するものだとわたしは思ってます。両立させていきたい。

 


それはそれとして自担(便宜)へ

ところでずっと自担(便宜)と呼んでいるのは「わたしは彼の何も担当していないし彼もまたわたしの何も担当してもらっていないので自担とは呼べないが、これに代わるいい代名詞が思い当たらないので便宜上使用している」の意です

ライブの感想以外にも誕生日以前にいろいろ書き溜めていた文章があったのであげようと思っていたのですが、その間にも思想がかなり変わってきたのでやめました。

今思えば荒唐無稽な話ではありますが、わたしは自担(便宜)のことを自分(と同じ)だ!と思っていたことが度々あり、自担(便宜)のことを自分が実現し得なかった可能性を具現化してくれる自己の延長のような存在に感じていました。

「アイドルについて葛藤〜」やこれまでの「恋愛禁止」ルールに近い部分でいえば、異性愛主義的規範にも則れず、かと言って勉学にも仕事にも創作的趣味にも没入できなかった自分にとって、メンバーと家族とも友人とも恋人とも違う唯一無二の強い結びつきを築きながら、人生を賭けて自己実現に全力投球している(ように見える)自担(便宜)が羨ましくもあり、救いでもあり、これからも永遠にそうあってほしいと願ってしまいます。しかし同時に、オタク人生において数多の恋愛スキャンダルと異性愛主義思想に長年曝され、心が摩耗しきってしまった経験から「いやまあどうせ彼女くらいおるやろ」と思っていることもまた事実であります。相反する感情のどちらもが、最終的には「恋愛禁止」ルールの強化に加担してしまっているのではないかと逡巡してしまいます。

わたしは最悪のオタクなので、そのままならなさやわからなさ(こちらがままならない、わかりあえないという思いすら抱くことを許さず、無邪気に相互理解を求めているような言動も含めて)を、自担(便宜)本人に対する怒りとして表出してしまうこともありました。それ以前に書き溜めていた文章は、その怒りの感情が鎮まってくるにつれ、自担(便宜)に向けている感情や個人的解釈を多少なりとも筋の通った形で言語化することを試みていたものでしたが、やはり自担(便宜)のことはよくわからないな、と最近また改めて、諦念ではなくよりポジティブに思うようになりました。それでもやっぱり自担(便宜)のことが好きです。そつがなく物腰柔らかな痩躯からは想像だにしない強大な、「己の表現を見て(聴いて)ほしい、己の話を聞いてほしい」の感情が迸る姿を可能な限り見ていたいと思う。わからないなりに。

自担(便宜)がアイドルをやっている姿を見て、それがうまくやれている時も、ちょっとうまくいかなかったんだろうなという時も見てきて、ああ自分もこのくそったれた世界でなんとか折り合いつけてやっていこうって思わされた経験があるからこそ、アイドルがうまくいかずに苦しんでいるその原因が社会やシステムにあるのだとしたら、最低限それには怒って抵抗していきたいし、もっと根本的な自己意識に苦しんでいて、その様子をオタクを信頼して開示してくれるのなら、理解することは不可能だとしても、そうだね、しんどいねって、邪推を挟まず素直に受け止められるくらいにはなりたい。