コピー用紙

なにも知りません

偶像論とコミュニケーション

結局、「自己像と他者から求められる理想像は乖離している」ということに理解を示した上で、それでもなお両者を擦り合わせようと試みる理由がわからなくて恐ろしいな、とわたしは思ってしまった。

 

冒頭で言及されている通り、人としての素性がわからないから想像で補完した結果実情と食い違いが発生してしまうのは、別に相手がアイドルじゃなくたって、インターネットの世界じゃなくたって、毎日顔を合わせる家族友人同士の間でも起こっているわけで。それは「そういうもんなんだからどうしようもない」と開き直るしかない、みたいに思っている節ももちろんあるんだけど、必要だから存在しているともわたしは思っていて、こと相手が「アイドル」であったならば尚更、そのアイドルを守るために必要なのではないか、と思っている。

アイドルという職業は、途方もない数の人間から途方もない大きさの感情を一方的に向けられて、それをアイドル自身の人生に重ね合わせて消費される存在である。それはすごく残酷なことで、普通のひとりの人間がとてもじゃないけど背負いきれるものではないと思う。

だからこそオタクは、文字通り「偶像」として、アイドル本人や事務所などが商品として見せてくれる歌やダンスやお芝居やトークや綺麗なお顔などといった要素に、各々の欲する「理想のアイドル」を見出し、それを推すことになる。それはそのアイドル自身のパーソナリティと限りなく近いかもしれないが、血の通った生身の人間そのものではない。しかしそれによって、アイドルのプライベートや人権は(完全に、とは一部ヤラカシ等のせいで言い難いにせよ)ある程度守られている。アイドルオタクの何割が同様の思想を持っているかは知らないが、少なくともわたしはこうして割り切ることで、身勝手で暴力的ともいえるわたしの「好き」の感情から、好きなアイドルを守りたいと思っている。

余談だが、こういうことを考えている時、「アイドリッシュセブン」屈指の名セリフ「アイドルを苦しめるのはいつだって、好きの感情なんだよ」を思い出す。

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(「アイドリッシュセブン」第2部 第4章4話「無限の期待」より抜粋)

ここでも語られている通り、オタクの持つ「理想像」とアイドル自身が見せたい「自己像」を一致させるというのは土台不可能なのである。

 

重箱の隅を突くようで本当に申し訳ないが、「これからも『理想像』と『自己像』を近付けられるように活動してい」くという確かな宣誓に対して、このブログそのものが不完全であるように思う。このブログそのものの解釈の余地が大きすぎるからである。

なぜこの宣誓の通りに考えるに至ったか、そこに至ったきっかけは何だったのか、確信的な部分は仄めかす程度に留まっている。意図的に言及を避け、はぐらかした、と読み取れなくもない(ブログに何をどこまで書くかは彼の自由なので、意図的であろうがなかろうが別にそれを咎める意図は一切ない)。フォロワーにもこのブログを読んでもらったが、「聞いてもない色んなことを教えてくる割にせきぐもさんが一番知りたいことは教えてくれてない気がする」と言われた。

そして、「『理想像』と『自己像』を近付け」させるための方策として、「なるべくナチュラルな面の僕をみなさんの前で見せ」る、とあるが、これだって「オタクの理想像に寄り添う自己像を恣意的に見せていく」のか、「オタクが勝手に抱く理想像など知ったことではない、俺の見せる自我をそのまま受け止めろ」ということなのか判断しづらい。今のはかなり極端に書いたが実際はもっとグラデーションで、前者は自身と乖離したオタクの理想像を本人が知ることで、無意識のうちにそれに即した言動を取りがちになってしまう、くらいのことはあるかもしれないし、後者は我々オタク側の意識改革に依拠するところであるから、そもそも発信する側1人の宣誓でどうこうできる問題ではないように思う。

こうして想像の余地を──むしろ意図的にすら見えるほどにあからさまに──残したまま我々オタクに言葉を届けることで、オタク1人1人の中でまた沢山の「矢花黎の理想像」が生み出され、実像とはズレていく事態になることは考えているのだろうか?

数週間前からずっと謎の圧をもってしてオタクもブログ書けって呼びかけているのも、要はコミュニケーションを図りたいのだとわたしは思っているんだけど、コミュニケーションってそもそも両者の想像や期待に依存した歪なものだし、理想像と自己像の乖離を受け入れるのを拒否しながらもコミュニケーションは取りたがるのは、そういう意味でもダブルスタンダードだな〜と思う。

 

気になる点を列挙するとどうしても批判的な文面になりがちだが、わたしは別に彼を責め立てたいわけじゃない。傷つけたくもない。先ほど「好きなアイドルを守りたい」と書いたが、それと同じくらい「好きなアイドルが望むことは可能な限り全部叶ってほしい」「好きなアイドルが想定するような『良いオタク』でありたい」という気持ちは強い。ただ、矢花くんと真摯に向き合おうとすればするほど、その願いがどんどん叶わなくなっていくような気がしてならない。本当にこれが真摯な向き合い方なのかどうかもよくわからない。

でもわからないなりに考えるのもこれはこれで楽しい(側から見たらなぜかめちゃくちゃ苦しんでるように見えるらしいが)し、向こうが何かこちらから発信することを求めてくれているのであれば、こうやって思想を言葉にすることは諦めなくてもいいのかな、わたしは許されているのかな、と勝手に思う。